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ラテンカルチャー大好きなCAMAが、フランス、イタリア、スペイン、アルゼンチンなどのラテンな国の文化を中心に紹介するサイト「Quartier Latin」のBLOG版です。こちらで、日々起こっているラテン関係のニュースや、それに対してのCAMAの感想・主張などを綴っていきます。もちろん我が国日本で起こっているさまざまな問題なども取り上げます。
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あれから3か月。僕たちの中で何が変わったのか?

2011/06/14 00:03
一昨日の6/11で、あの忌まわしき大地震と大津波から3か月が過ぎた。

3か月というのは、長いような短いような微妙な期間だ。しかし、僕ら日本人にとっては、この3か月は決して短く感じられなかったことだろう。つまり、それくらい、僕らは1人1人、毎日いろんなことを心配し、いろんなことを考えてきたのだ。ある意味では、この3か月は僕らにとって非常に貴重な時間だったと言ってもいい。

ではこの3か月で一体何が変わり、何が変わらなかったのか。

僕が思う、もっとも変わったことは、国民の考え方だ。正直、日本の国民はふだんから政治には無頓着すぎた。もちろん今の政治情勢を見ていてイヤになる気持ちはわかる。しかし、それでボイコットしてしまっては、政治は変わらない。少しでもいいからきちんと情勢を見てきちんとした判断をしないと民主主義は崩れてしまう。国政選挙で投票率60%なんてのはもってのほかだ。その間に、この国はいろいろ権力者の勝手を許してきた。今の原発問題だってそうだ。前から問題視してきた人に言わせれば、「何を今さら」だろう。元から問題はあったのだ。しかし、それを見ようとしてこなかった国民にも責任の一端はある。もちろん事実を歪曲し、隠してきた為政者や業界には、さらに大きな問題がある。このあたりは後日きちんと追求されねばならない部分だろう。

しかし、この3か月で、国民の考え方が変わった。少なくとも、何かをしなくてはいけない、という気分に皆がなっている。また、政府やマスコミの言うことが本当なのかを疑うようにもなった。まだ情報をうまく処理できない人が多くて、混乱しているけど、少なくともいろんなソースから情報を集め、総合的に判断するというクセは、たとえ一介の主婦であっても身につけてきている。これは大きな進歩だ。

さらに行動的な人になると、デモに参加したりもするようになった。これもいいことだ。何か不満があるのなら、声を上げるべきなのだ。日本人は総中流で飼い慣らされてしまっているから、そんなこともしてこなかった。裏を返せば、それなりに幸せで、そんな声を荒げる必要がなかったからでもある。でも、もはやその幸せの前提が崩れてしまった。僕らの生命や財産は結構もろい砂上に立っていたのだということをみんなが知った。今さらそれを嘆いても遅いが、まだもしかしたら何とかやり直せるかもしれない。だから、声を上げるしかない。そう思う人が増えている。

そしてインターネットのはたした役割は非常に大きい。政府やマスコミのいうことを信用しなくなった一因には、インターネットによる自由な発言や情報のやり取りがあった。その中には多分にデマも含まれていたが、その中には真実もあった。少なくとも報道されない何かがあることに、多くの国民が気づいた。そしてインターネットを通じて情報を交換し合った。その結果、マスコミや政府の出す情報の価値は急落した。情報というものの価値はいったん下がると、なかなか上がることはできない。貨幣経済や株式市場と同じで、価値の下がったものはひたすら売られる。今後マスコミの業界再編も加速するだろう。

このように、国民の政治参加意識や、情報の取捨選択能力は、この3か月で飛躍的に変わった部分だ。このことは、今後の日本を考えるうえで、非常に大きな財産となる。デマゴーグが通用しない、しっかりした為政者を生み出し、しっかりとした国政を任せるように我々が変わる第一歩だと言ってもいいだろう。

しかし、変わらないものもあった。それは次回にまた書くことにしよう。
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原発事故は徐々に解決に向かっているが、政治や経済は乱れまくりの日本

2011/04/21 01:57
震災から1か月が過ぎ、当初のパニック的な状況は、ここ東京を中心とした首都圏でもすっかり落ち着いた感がある。だが、実は、東北の被災地ではそれほど大きく状況がよくなっているわけでもなく、原発問題に関しても、それほど大きくゲインしているわけではない。だが、少なくとも、どちらも徐々にそれなりに回復している。特に、首都圏の人間が心配している福島の原発については、この1か月で、少なくとも、1)空気中への放射性物質の量が減って安定した、2)海洋への汚染水の流出もひとまず止めることができた、3)電力が復旧し、冷却系は比較的安定している、というように、少しずつ状況は好転している。しかし、世の中というのは、こうした場合にグッドニュースをあまり取り上げない。むしろ物事の悪い面のほうにフォーカスを当てる傾向がある。だいたいどのニュースを見ても、「本当に大丈夫なのか?」「爆発の可能性はないのか?」「人体への危険性はないのか?」ということばかりを繰り返して報道している気がするが、状況を見る限り、現状はひとまず落ち着いており、自体は徐々によくなっている。だから、何も必要以上に心配することなどないと僕も言っているのだが、どうも皆さん心配性というか、疑心暗鬼というか、なかなか冷静に物事をとらえてくれない。

以前にも書いたが、ひとまず今の放射能の漏洩問題もおそらく7月くらいには目処が立つという予測を勝手に立ててみたが、東電側からもほぼ同じようなスケジュールが発表された。これについて、実現不可能だとか言う向きもあるが、当事者の東電が発表したスケジュールである。これを信じずに何を信じるのか。仮にスケジュールが予測不可能な問題で後ろ倒しになったしても、プロジェクトというものは、ひとまずのゴール設定を絶対にひかなくてはいけない。それが3か月か、半年かでは、現場のモチベーションも全く異なる。僕は、ひとまずにしろ、東電が3か月というスパンで自体の収集を計ろうとする計画を立てたことに対して、大いに評価したいと思う。

このように、原発問題も一応の見通しが立ち、夏に入る頃には大分状況は収まっているだろうというスケジュールが引かれた。しかし、東北の被災地はまだまだ復興の見通しも立たないし、瓦礫の撤去も、仮設住宅の建設もまだまだ時間がかかる。原発は原発で東電が対応すると言っているのだから、政府や僕らはもっと東北の復興に心や力を注ぎべきだ。しかしながら、報道によれば、いまだに援助物資の仕分けすら現地ではうまくいっておらず、瓦礫や泥の撤去に必要なマンパワーも圧倒的に足らない。しかしながら、受け入れ体制がないという理由で、一般のボランティアはいまだに現地に入れない。一体何がボトルネックになっているのか。そういうことは報道はなかなか伝えない。現地で活動するNGOなどの報告によって、わずかに現場の問題を知るばかりだが、テレビなども原発ばかり気にしてないで、もっと被災地のニーズを伝えてほしいと思う。

あと1週間もすると連休がやってくる。この機会に、被災地でボランティア活動をしたいと思っている人は少なくないはずだ。しかしながら、そうしたボランティアの受け入れは遅々として進んでおらず、気持ちがあっても動けない状況は何ら変わっていない。せっかく、辻本清美がリーダーになってボランティア受け入れを整備することになったのに、そのあたりの状況が1か月経っても何にも変わっていないのには正直がっかりする。阪神大震災のときの教訓を踏まえ、無秩序に人が現地入りすることは抑えられているが、抑えすぎて結局人が足りてないというのなら、本当に本末転倒だ。

そして、何よりも、国家の根幹となる政治と経済が、思ったよりもガタガタになっている。経済については、意外に東北地方の被災地に、さまざまな部品の工場があったということに今さら気がつき、あらゆる産業でこれまでのような生産活動が難しくなっている。しかも、首都圏では、あの計画停電の影響で、工場を動かせないという状況も頻発し、生産量が落ちた結果、ビールなどの物不足を招いた。さらに加えて、日本製品への風評被害の影響もあって、国外でも日本製品の販売はふるわない。電力不足が経済界に与えたインパクトは少ないとは言えない状況なのだ。

さらに酷いのが政治である。僕は民主党政権は、このような未曾有の災害に対してもなかなか頑張って対処しているのではないかと思っているが、世の中の評価は遙かに厳しい。当の民主党内でも、小沢一郎を中心とするグループが倒閣を目指しており、党内でも意見が割れ、政府をバックアップできていない。しかも、これまでの原発政策なりを推進してきたはずの自民党は、まったく人ごとといった風で、この事態に対して積極的な協力も行わない。とにかく政治はめちゃくちゃで、これではリーダーシップどころの騒ぎはなく、足を引っ張り合っているだけと思うが、党の政治家達はそんなことはあまり気にしてないようだ。仮に、今の状況を自民党が引き受けてうまくやれるのかと言うと、これも限りなくダメだろう。そもそも官僚との癒着が強い政党である。下手すると民主党以下の対応になると思えてしまうのだが、国民はあんまりそんなことを気にしていないようだ。本当に思慮の足りない国民である。

そんな中で僕らにできるせめてものことは、原発問題をなんとか終息させようと頑張っている東電を必要以上に責めずに応援すること。風評被害を助長しないこと。直接間接にかかわらず、被災地や風評被害を受けている地方の経済を応援すること。現地で活動しているNGOを応援し、寄付を行うこと。義援金を引き続き送り続けること。こんなことしかない。いや、こういうことが大事なのだ。だから、とにかく忘れずに何度もこういうアクションを続けることしかない。
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まだ早すぎる責任論

2011/04/13 23:45
テレビを点ければ、ACのCMで「日本はひとつになろう」とばかり言っているが、実際の日本は、ひとつになるどころか、分裂していっている感じすらする。特に政治の世界と、それを報道するマスコミを通じての一般人のリアクション(これもインターネットを通じた反応ではあるが)を見ていると、それこそ一丸となって取り組むべきお国の非常事態であることをすっかり忘れてしまったかのような、責任追及合戦が続いている。正直、こういうのを見ていると、我が国の将来は暗いな、と思ってしまう。

そもそもの問題の発端は、肝心の東北地方の被災地ではなく、福島の原発事故にある。本当ならそんなことはもう話題にしている場合ではなく、実際の被災者や被災地をどう立て直すか、彼らの生命や将来をどう守っていくかというところに、国民全体が取り組まなくてはいけないのに、テレビを見ても、新聞を見ても、常にトップニュースは原発。もちろん原発の問題は予断を許さない状態ではあるが、かといって、我々が何かをできるわけでもなく、現場の頑張りと政府の後押しによって、できるだけ被害を抑えながら終息に向かうのを見守るしかない。逆に、東北の被災地の問題は、我々が何かしらのアクションを起こせる問題である。義援金でもいい、ボランティアでもいい、地元経済を間接的に応援するのでもいい、身寄りのない人たちを一時的にお世話するのもいい。とにかく直接的間接的にやれることがたくさんあるし、被災地の側もそれを求めている。僕たちが今向かうべきは東北の被災地であるべきはずなのに、マスコミもインターネットもほとんどが福島の原発に向いている。そして、不要な心配の種をまき散らしている。それこそ不要な情報だ。もっと伝えるべきことがあるだろう。現地で頑張っているNGOの動きなんて、全然報道されない。有名キャスターが現地視察したところで何になる? 政府も早く一般ボランティアの受け入れを進めてくれ。みんな助けに行きたい気持ちはあっても行くに行けない。あと2週間でGWとなるが、この機会に全国から大勢のボランティアを東北で動けるようにすれば、少なくとも泥かきとか瓦礫の撤去とか、いろんなことができるはずだ。何故そこに話がいかない。どうして、もっと義援金を募金してくれと言わない。

とにかく僕自身ももう原発のニュースとかあまり見たくないのだが、インターネットを見ているだけでもいろんな情報が飛び込んでくる。そのたびに、このようないらつきを感じる。もちろん、原発問題が原因で故郷を追われている方々がいる。農産物や海産物が被害を受けている。それには本当に腹が立つ。僕ら首都圏に暮らす人間も、節電や停電を余儀なくされ、若干不便な毎日を送っている。しかし、しかしである。あえて言うなら、直接の被害を受けていない僕らは、原発についてコミットする必要もないし、とにかく事態の沈静化を祈るしかない。それが歯がゆいのはわかるが、もうこれについては本当に事態を見守るしかないのだ。そして、政府の発表を信じて、冷静に生活するほかない。そういう覚悟を決めるしかないのだ。

しかしながら、インターネット上でも、政界でも、東電の態度や対応の遅さを責め、政府の対応を責める動きが活発化している。もちろん東電にも、政府にも責任の一端はあり、責められるべき人もいるだろう。しかし、今は非常時で、とにかく当事者に頑張って事態に当たってもらうほかない。仮に、今、責任論を持ち出して、東電のトップが辞職したり、内閣総理大臣が辞職したりしたところで、何かいいことがあるのか? こんなしんどい時期に辞めるのは簡単で、ここにとどまるほうがよっぽどキツい。もちろん本人も責任は感じているだろうが、それは今の状態がある程度落ち着いてからの話だ。今は、当事者の彼らがベストな状態で仕事できるように、応援してやるべきだろう。そんなの、会社などでもまったく同じで、プレッシャーばかりがかけられる仕事なんてろくな結果にならない。その辺、みんな優しくないというか、パニックというか。結果を考えてみんな冷静に行動してほしい。

さらに責任問題について言うと、じゃあこの原発問題は誰が責任をどう取るのかという話になる。まずは東電に責任がある。それはごもっとも。じゃあ東電の幹部が総辞職すればいいのか? それとも東電という会社自体をつぶして、そのお金で賠償金に充てればいいのか? はたまた今の民主党政権が辞職すれば済む話なのか? これまでこの原発を推進し、安全対策を怠ってきたのは民主党か? そうでなければ、戦後50年一党独裁状態を保ってきた自民党の原発推進派に責任があるのか? それは誰だ? そしてその自民党を支持してきた財界や保守派層には責任はないのか? 誰がどうやって責任を取れば、みんな納得するのだ?

原発は国策である。東電一社がやったことでもなく、全国各地に原発はある。今回はたまたま東電館内の原発が被害にあったが、どこの原発だって起こりうる事故だろう。だから、これは東電だけの問題ではない。管轄する経済産業省にも責任はあるが、経済界・産業界にも責任がないとは言えない。エネルギーの少ない我が国が、石油に頼らない電気エネルギーを確保するために、原発はある意味「必要だった」のだ。そのことを知らない国民はほとんどいないだろう。もちろん、原発反対派だっているが、その人達だって原発による生活上ののメリットは受けている。言ってみれば、国民全体の責任でもあるし、国民全体でなんとか償わなくてはいけない問題なのだ。

しかし、そう考えると、責任の所在がきわめて不明確になる。誰もが悪いが、誰もが悪くないということにもなりかねない。これと似た記憶が日本にはある。そう、太平洋戦争の責任問題だ。あのときにも、誰が責任を取るべきかが問題となった。天皇なのか、内閣なのか、軍部なのか。あるいは国民全体の責任か。世論をあおったマスコミの責任はどうか? 今いろいろな検証が改めてなされているが、結局のところ、「致し方なかった戦争だった」というような結論がなんとなく出てきている。そして、「責任あり」として裁かれた東条英機をはじめとするA級戦犯にも「責任はなかった」というような見方まで出てきている。一般には「軍部の暴走」というように取られらている戦争責任であるが、その常識すら覆されようとしている。戦後60数年を経て、日本が検証したあの戦争は、「誰にも責任がない」というような雰囲気を与えられつつあるようで非常に不気味だ。

それと同じようなことが今の日本で起こりつつある気がしてならない。みんながみんな責任のなすりつけ。時の政権は確かに民主党だが、政権を取って間もない民主党にはたして責任があるのかどうか。事後対応のまずさは非難されても仕方ないが、そもそもどうしてこんな事故になったのか。多分、どこまで行っても責任の所在は明らかにならないだろう。でも、それでは、世論が許さない。結局のところ、誰かが腹を切る必要があり、その生け贄となる人間は出るだろう。でも、本来の責任は誰も取ることができない。そして、賠償を含め、結局のところ、我々国民が責任を取るはめになるのだ。

僕はその責任を取りたくないと言っているのではない。責任の所在をよそにぶつけて、自分に責任がないような顔をしている人間の気持ちがイヤなのだ。そして、今はそんな無意味な責任の所在を問うている場合ではない。そんな話は後ですればいい。今できること、今やってもらわなくてはいけないこと。それをみんながしっかり確認して、前に進む時期ではないのか。少なくとも本来の被災地では、そんな話よりももっと深刻で厳しい現状が横たわっているのだ。
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今こそ第三の流通革命を!

2011/04/10 12:31

被災地岩手から「お花見」のお願いA【南部美人】

東日本全体を襲った今回の大震災から約1か月。
原発の問題を除けば、交通のインフラも、高速道、新幹線ともに復旧しつつあり、これからはいよいよ復興に向かう時期に来ている感じがある。
しかし、ここで大きな問題になりつつあるのが、風評被害や自粛ムードにかかわる経済停滞による二次被害だ。

今回の震災はとにかく規模が大きすぎて、阪神大震災のときと同じような対応ではとても追いつかない。何しろ範囲が広すぎる。そして、被害が甚大すぎる。復興にはかなり長い時間がかかるだろう。この1か月はとにかく緊急支援ということで、最低限生き延びられる援助が中心だったが、これからは、被災地の人たちが、なんとか自力で立ち上がって、街を再建していけるような援助を行わなくてはいけない。報道を見ていても、東北の人たちはもうすでに街を復興させようと動き始めている人が少なからずいるようだ。特に、被害が甚大な漁業関係の人たちが、なんとかしてもう一度漁業を復興させようとしている姿には、東北人の芯の強さを感じる。支援する側の僕らにできるのは、インフラの整備にかかるお金の援助、それから消費者としての購買活動を強化すること、この2点であろう。

インフラの整備に関しては、国や県の事業となるであろうから、ひとまず義援金や税金で対応してもらうしかないと思うが、問題は消費のほうである。ここに貼った、岩手の酒蔵がYouTubeにアップした動画が話題になっている。今、花見のシーズンなのだが、東京を中心に自粛ムードが広がってしまっている。それが、結果的に東北の酒蔵の経営を圧迫し、東北地域の経済を必要以上に押し下げてしまう。だから、どうか自粛をせずに花見をしてお酒を飲んでほしい。そんな切なる願いである。

これは酒蔵の話だが、以前から書いているように、福島などの農産物や、海産物も、今原発の問題によって不要な被害を受けている。福島だって会津地方は浜通りとはまったく違う地域である。さらに、茨城や千葉にいたるまで、もはや本当に不要としか言いようがない漁業への不買運動が起こっている。いくら義援金が貯まっても、これでは何の意味もない。僕ら自身が、災害に荷担しているようなものだ。

しかし、消費者の側には、こういう情報は届いているし、何かアクションを起こしてあげようと思う人も少なくないはずだ。できるだけ、東北や福島・茨城の産物を買ってあげたい。そう思う人も多いだろう。しかしながら、近所のスーパーなどに出かけても、こうした地域の産物が売っていないことが多い。野菜で言えば、岩手産などはよく見かけるが、福島産はおろか茨城産でもほぼ見かけることがない。魚介類はもっと深刻で、ほぼ流通ストップだろう。お酒はいろいろな方法で買えるかもしれないが、生鮮食品は実際に購入できない状況にある。生産者と消費者が分断されてしまっているのだ。

この理由は、中間に位置する「流通」が止めていることによる。日本の流通システムは複雑と言われており、卸だけでも1次、2次、下手すると3次くらいまであって、その間にさまざまなマージンが取られるので、価格が高くなっていく。たとえば、農産物でいえば、市価で100円するほうれん草などの、生産者側の取り分はおそらく20円くらい。あとの80円は、中間の流通および小売店が取っている。もちろん運送費、保存費などのコストはかかるのでこれをゼロにするわけにはいかないが、生産者の取り分なんてそんなものである。それが、風評被害によって、半値でも買ってもらえず、魚介類などは1/4になってしまったそうだ。もちろん、放射能汚染の問題がない食品の話である。これでは、農家も漁師もとても食べていけない。元々がギリギリのラインでやっている業界である。こんなことをしていたら、早晩日本の農業・漁業は壊滅する。

そして、今ほど、この流通が問題になっていることもないのではないか。先ほど見たテレビ番組では、茨城の魚介を扱うお店のご主人は、できるだけその素材を使って商売したいのに、(築地)市場のほうに入荷しないのでどうにもならないと嘆いていた。魚屋さんでも同じことだろう。できるだけ売ってあげたいのに、そもそもの入荷がストップしているので行えない。本来なら、消費者が判断すればいい問題を、中間の流通側で勝手に止めてしまっている。もちろんリスクを恐れて(主に売れ残りリスク)のことだとは理解できるが、まあ要するに自己保身と取られても致し方ない行動である。それも問題をいっそう複雑にしているのは、中間流通に携わる人間が多すぎて、どこかでストップがかかると、流通全体が止まってしまうことだ。しかも、生産者側が商品を卸すのはほぼ1つの選択肢しかなく、農産物なら農協へ、海産物なら仲買人へというルートしな用意されていない。この人たちが買わないと言えば、おしまいなのだ。お宅が買わないなら他所に卸しますというような経済原則は、ここには存在しないのだ。

この流通問題はこれまでにも指摘されてきていたが、結局流通側では明確なリストラが行われないままここまで来てしまった。その間に、大手スーパーなどでは「契約農家制」などを採用し始め、いわゆる農協を通さない自主流通も出てきていた。おそらくそういうルートにある農家はそれなりに助かっていると思う。しかし、漁業方面は(僕は詳しくないのでわからないが)今回の話を見る限り、以前と何ら変わらない流通のようだ。数年前の原油高の際に、日本全国の漁師がデモを行ったのは記憶に新しいが、あのときも、結局は仲買が原油価格の上乗せを認めず、安値で買いたたいたことが問題の発端だった。もちろん、仲買だけを責めるわけにはいかず、上流の流通や、最終的には消費者の需要がないことも問題だった。そして、今回も表面的には似たようなことが起こっている。流通というのは、消費者に近いほど力が強く、生産者に近いほど力が弱い。この下請的な構造が生産者をまたもや苦しめている。

ただ、今回の大災害によって、消費者側の心理は少し変わってきている。自分の側でリスクを見極めつつ、産地のものをなるべく利用しようと考えている消費者ももっと出てくるだろう。しかし、実際には買えない。元が抑えられてしまっているからだ。政府であれば、国民の安全を守るためという大義で、出荷停止をすることも致し方ない。しかし、問題のない生産物までが、主に流通の問題によって市場に回らず、生産者を苦しめ、消費者の思いをも無にしているとしたら、これは問題だろう。

このことを解決するほぼ唯一の方法は、生産者から消費者への直接販売しかない。もしくは、流通を極力シンプルにした産直系の小売りに頼るしかない。こうした産直系のお店は、たとえば道の駅とか、農協・漁協の売り場などを通じてだいぶ広まってきているので、こうしたものを利用するのは1つの方法だ。ただし、これでは効率が悪い。消費者側がそこまで行かなくてはならないからだ。そこで、注目したいのが直販、特にインターネット直販である。これなら、消費者が直接生産者から買うことができる。ただ、個人ではそれほど多くの量は買えないし、コストがかかりすぎる。結局従来の流通のほうが割がいいということになりかねない。であれば、近所のコミュニティを使った共同購入という方法がある。実際、そうやって各地の物産を購入している人たちもいる。農産物・魚介類に関しても、同じような方法をとれば、コストを抑えながらも産地の物産を購入できるはずだ。

と、ここまで書いてきて思ったのは、それっていわゆる小売りのやることじゃないかと。日本の小売り業は、基本的に「市場で買って、お店で売る」という流通しか使っていないが、この際、インターネットを使って産地から一括購入することはできないのか。もちろん店主のリスクの元で、ということになるが。しかし、そういうリスクを取れるのであれば、売り場がなく買い取り額が1/4にまで落ちているという産地の生鮮食品を、かなり安く仕入れることができるはずだ。これはある意味で、第一次流通革命によって、従来の小売業のライバルとなったスーパーに対抗できる唯一の方法かもしれない。もし小売りがやらないのなら、我々消費者がインターネットなどを通じて直接共同購入を行う。もしそうなれば、小売り業の出る幕は完全になくなる。となれば、これは第一次、第二次に続く、第三の流通革命になるかもしれない。必要以上にリスクを回避する流通業界は、この際淘汰されるべきなのかもしれない。
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あと3か月の辛抱

2011/04/09 14:47
4月に入り、すでに一週間が経った。もうすぐあの忌まわしき大地震から1か月が経つ。

あれから、日本は変わった。ほとんどの国民が、日本の将来を憂い、被災者の方々の不安や悲しみを一緒に背負おうと決意した。これまでにないほどの多くの義援金が各地から寄せられた。不景気ばかりが話題だったはずの日本なのに、みんな自分の財布から被災地へとココロを送った。数々の善意が、数々のメッセージが、数々の奮闘が語られた。まだまだ復興はおろか、最低限の援助しかできていないが、それでも少しずつ事態は変わりつつあると思う。

ただ、震災・津波の直接的な被害以上に、ある意味で大きな問題になってしまっているのが、福島の原発事故の問題だ。ひとまずこれまでの約1か月間でできた対策といえば、炉心や燃料棒の溶解・爆発を防ぐための水の注入と、電源の回復、これくらいのものである。外部からの注水はそれなりに効果を得ているのだが、その代わりに放射能で汚れた水があふれ出し、それが海に排出されるという問題を引き起こしている。今はそちらの問題にかかり切りという感じだが、この問題の根本的解決は、あふれた水をかき出し、本来の真水による注水系を復旧させ、安定した冷却を維持したうえで、破壊された建屋を修復するというところまでいかないといけない。今の状況を考えるに、少なくとも3か月くらいの時間が必要になるのではないだろうか。つまり夏までが1つの勝負というか、辛抱の時間ということになる。

ここで僕が感じている3か月という時間はまったくの憶測ではあるが、それほど当てずっぽうでもないと思う。この1ヶ月間、もちろんいろいろな失敗や問題はあったが、福島の原発の現場ではそれなりに、非常に厳しい状況から脱しつつある。電源も何も完全になくなってしまった「制御不能」状態から、何とかして炉心を冷やし、電源を復活させ、今はコントロールルームにも電源が来ている。これは冷静に考えると、なかなか頑張っている。最悪の状況は今や脱しているはずで、今はやるべきことがおそらく現場でも明確に見えてきているはずだ。そうなれば、日本の技術力を総動員して復旧に向かうのは時間の問題だと思う。ただ、慎重に進めなくてはいけないので、若干の時間はかかる。その間、多少なりとも放射性物質は空中や海中に放出されるだろう。僕らもそれは理解している。そして、それと何とかつきあっていく覚悟もできている(と思う。少なくとも僕は)。

僕の素人的な見立てでは、今の汚染水問題は今月中にある程度のカタがつく。それと平行して本来の冷却系の復旧も進むはずで、5月に入る頃には今の放水をある程度やめられるくらいの状態に達するのではないか。つまり、冷却系の復旧と汚染水の問題は表裏一体なので、ある程度パラレルに進めることで一気にカタがつく。ここから先の、原子炉の破損箇所の修復にはもう少し時間がかかるかもしれない。破損箇所が報道で言われているように、冷却系の一部(冷却水パイプなど)であれば、それほど時間は要しないかもしれない。事態がそれほど深刻でなかった場合は、5月中にこの問題もある程度先が見えてくる可能性はある。ここまでくれば、少なくとも放射性物質の漏洩はかなり減るはずなので、後は建屋の復旧によって完全に押さえ込むことが可能になる。おそらく今回はかなり頑丈なものを作るだろうから(それまで仮説的な覆いをかぶせることはあるかもしれないが)、この工事に約1か月(かなり旧ピッチだけど)。そうなると、7月くらいには今の原発問題もひとまず終息ということになる。もちろん希望的観測だが、それなりにリアルには考えての時間だ。

今回の原発事故が起こって以降、報道などでも常に問題視されているのが「数値などの情報開示」の問題と、「いったいいつまで、どこまで影響があるのか」という2点だと思う。当事者からすれば、そして主に技術系の人たちの気持ちとしては、完全にこうだと言うことはほとんど不可能で、「と思われる」とか、「影響は今のところ認められない」といった言葉遣いになってしまうのも無理はない。予測なんてできないのだ。まだ正確な破損箇所も特定できていないのに。でも、そのことで、国民は非常に心配になり、ナーバスになっている。「東電は、政府は何かを隠している」という輩も大勢現れた。みんな不安なのだ。そして、こういう不安に陥ったときの対処法は、単純だが「希望を持つ」ことしかない。まあ一種の暗示だ。

暗示であるから、正確性はない。これは希望であるからだ。たとえば、今どこかで自分が大きな事故にあって、重傷を負ったとする。傷をおった本人は当然ながらパニックになる。もしかしたら死ぬんじゃないか。そういう思いが頭をよぎる。そのとき、隣にいる誰かがかけられる言葉に正確性はほとんどいらない。「あ、この傷はおそらく動脈をそれているから、ひとまず命には別状ないよ」という言葉よりも、「大丈夫。すぐに助けが来る。ひとまず出血も止まった。絶対に助かる」という言葉のほうが効くだろう。それと同じで、今国民が聞きたいのは、本当に大丈夫なのか、そしてそれはいつまでのことなのか、ということのような気がする。さすがに責任者という立場では、「おそらくあと3か月で止まります」とは言えないだろうから、常に最悪のシナリオを想定して「少なくとも数ヶ月」のような物言いになってしまうのも無理ないが、そろそろリーダーが「大丈夫だ、俺たちは危機を克服した!辛抱はあと3か月だ」と、嘘でもいいから言ってほしいと思う人もいるのではないか。

ここで3か月と言っているのは、心理的な問題でもある。人間は痛みがいつまで続くかわからないと、気持ちが負けてしまう。病気と戦っている人の心情だ。でも、いつまでの辛抱だと時間の目標があると、なんとか辛抱することができるようになる。その目標時間を設定できれば、人々の忍耐力が高まるはずなのだ。しかし、あと1年とか言われると、さすがにちょっと「うへえ」となる。でも3か月というタームは、直感的に「長くはない」と思える時間だ。しかも、今、首都圏では、夏に向けての電力需要問題が大きくクローズアップされてきている。その電力供給への不安と、原発からの放射性物質に対する不安が今首都圏ではダブルで押し寄せている状態だ。しかし、本格的に暑くなる前の7月までにその不安の片方でも解決できれば、これは気持ち的には大分楽になる。

もちろん、農業・漁業に関しても同様で、あと3か月だけ何とか辛抱することが可能になる。海洋や土壌は汚染されてしまう部分もあるので、そう簡単ではないが、それ以外の部分で言えば、7月までに事態が収まるのであれば、田植えの時期なども都合がつけられる。野菜も今は厳しいが、3か月であれば、畑を休ませるなどの対策がひとまずは打てる。補填の問題は東電と政府が考えればいい。それくらいのことはできるはずだ。

まあ、素人考えの勝手な意見ではあるが、もう少ししてある程度先が見えてきた段階で、できれば「夏までにこの問題を解決する」と、政府には力強く宣言してもらいたい。これは希望でもある。ぜひそう願いたい。
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義援金を送る

2011/04/02 12:00
今回の震災で何よりも驚きというか、心強いのは、日本の国内外を問わず、非常に多くの人が我がことのように心配をし、実際のアクションを早い段階で取っていることだ。そのもっともわかりやすい例が義援金である。日本赤十字社に寄せられた義援金だけでも、すでに600億円近くに達している。その他、台湾でも50億円近くが集まっているという話もある。アメリカでもヨーロッパでもアジアでも、日本を救うためのさまざまなチャリティイベントなどが行われている。その場に行って何かをしてあげられない。その心苦しさがみんなのココロにある。一番簡単にそして効果的に応援してあげられる義援金というアクションをみんなが取っているのを見ると、本当にこの国も捨てたもんじゃないなと思わずにはいられない。そして、世界の連帯感を感じずにはいられない。実はそれこそが、僕ら日本人が一番求めていたものだったのかもしれない。

かくいう僕も今日義援金を送った。初動が遅れてしまったのは、例のみずほ銀行のトラブルのせい。ここでちょっと出鼻をくじかれてしまったのと、すでに相当な額が集まっているだろうし、この震災被害への支援は長期戦になることがわかっていたので、まあそんなに焦ることもないかなと思ったためだ。もちろん街頭などで行われている募金活動には積極的に協力している。

僕が今日寄付したのは、3団体。まずは最大の規模を誇るNGO、日本赤十字社である。まあここに入れておけば間違いないだろうというのがその理由。ただ、この日本赤十字社に関しても、いろいろと黒いウワサがあるのは知っているので、全面的に100%信頼しているわけではないのだが、そんなこと言ってても仕方ないし、金額ボリュームと実績から言えば、やはりここは外せない。ひとまず今日のところは10万円を寄付した。

あと2団体は、いわゆる民間のNGO/NPOだ。ただ、民間のNPOはピンからキリまであるので、本当に選ぶのが難しい。今日初めてその名を聞いたようなところだとやはりなかなか信頼しづらい。もちろん疑っているわけではないが、NPOの良さは、赤十字のような大型の支援ではなく(どちらかと言えば後でお金を補填するような)、規模は小さくても今すぐ現地に入って動けるというその機動力にある。だから、震災からの経過を慎重に見守って(そういう意味でTwitterは非常に役にたった)、すでにきちんと活動を行っているところ、そしてこれまでもそいういうボランティアの実績があるところを選んだ。まあ、実名を出すと、いろいろ言われそうな気もするのだが(それも想定内)、同じようにNPO選びに悩んでいる人もいるかもしれないので、参考までに、僕が今日寄付した団体を書いておきます。

ピースウィンズ・ジャパン
http://www.peace-winds.org/
何と言っても、アフガニスタン戦争のときの動きが印象的。危険な地域でも行って支援をするという姿勢には共感する。今回の震災でも初動が早かったし、何しろそういう体制ができあがっているのがすごい。備蓄物資などをトラックに載せ、いち早く現地入りしたその行動力に感服。

ピースボート
http://www.peaceboat.org/
まあその活動について賛否両論あるのは知っているが、個人的には共感できる部分も多い。かなり草の根的な支援のようだが、こういう団体も実際には必要。大学生とか若いスタッフが多いので、そういう面も合わせて支援したい。一応、ボランティアまとめ役に任命された辻本清美の作った団体でもあるし。


もちろん、このほかにもいくつか有力なNGO/NPOがあるし、どこか1つに限定してしまうのはリスクなので、いろいろなところの活動内容を見ながら、薄く長く支援をしていこうと思っている。一度きりで済ませるのではなく、また、こういうときにあまり政治的信条にこだわるのではなく、実際に動いている人たちを積極的に支援していきたい。
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デマか、ホントか?

2011/04/02 01:50
今回の大震災は、本当にそれこそ未曾有の大災害になってしまった。
もうそれだけでも十分に大変なのだが、悪いことに、原発の事故という、これまた世界的にも大きなインパクトのある問題が持ち上がってしまい、僕ら関東に住んでいる人間には、そのほうが自分の身を脅かす危機として身に迫ってきている感がある。本来なら、僕らは、被災を直接受けた東北の人たちをしっかりとサポートしなくてはいけない立場なのだが、その僕たちが、原発のことで浮き足立ってしまっている。これは大問題だ。

確かに原発のメルトダウンは恐ろしい。事態がここまで至ると、もうただでは済まないことは誰にもわかってきている。しかし、ひとまずにしても、東京とその近郊に関して言えば、今の状況であればさほど被害が及ぶということはないはずだ。少なくとも、政府の発表を信じれば、そのようなことになる。しかし、どうにも、みんな腹がくくれない。何か不安な日々を送っている。一見すると、東京は普段の生活が戻ってきているような感じがするし、今日は新年度の初日である。新社会人なども普通に街のあちこちに出てきていて、会社も普通に動いているし、計画停電もこの1週間くらいはなかった。至って普通の日常なのだ。でも、僕らの心の中には、漠然とした不安が暗い影を落としている。いつ東京が放射能で汚染されるのか、それをただひたすらに恐れているのだ。

そう思うのもまあ無理はない。政府や東電の発表は結構コロコロ変わるし、対応を見ているとどうも場当たり的だ。でもまあ、状況はなんとか沈静化しつつあるように見える。対応はベストではなかった。でも、それなりに進んでいる。だいたい、この国の誰が対応したってうまく行くわけはない。何しろ、誰の頭にも想定外(たとえ、それが想定しておかなくてはいけなかったことだとしても)の出来事であり、誰もこんな状況に対応したことのある人間はいないのだから。これを攻めるのはかなり酷だ。

しかし、この恐れを助長しているもう1つの原因がある。それが、インターネットを介した「デマ情報」だ。いや、もしかしたらデマじゃないのかもしれない。ある人は、今の状況をさらにネガティブにとらえ、最悪のシナリオを描いている。しかし、ある人は、逆の考え方で、事態は思っているほど悪くはならないだろうと考えている。どちらの言い分にも一理あり、どちらがデマでどちらが本当であるかの判断もつきづらいのだが、政府発表がほぼ正しいとするならば、それに反することをインターネットやtwitterなどを通じて言っている人はデマゴーグということになる。つまり、こういう人たちの意見によって、一般市民が必要以上に疑心暗鬼に陥ってしまっているということだ。そういう意味で、今回の災害で、twitterなどのソーシャルネットワークが果たした功罪は、おそらく今後のインターネット研究の参考として、今後世界中から注目されるだろう。

僕も、原子力に関してはシロートなので、はたしてどちらの言い分が正しいのかの判断はつかない。しかし、判断がつかないのであれば、無用に慌てないほうがいい。僕はもう腹は括っている。もちろん東京が放射能に汚染されるようなことがあれば疎開するだろうが、そのときはそのときだ。ひとまず、権威が大丈夫と言っていて、それを信じて頑張って作業している人がいる限り、僕らはそれを応援こそすれ、足を引っ張ってはいけない。まして、東北の被災者のことを思えば、僕らがここでビビッてる場合じゃないのだ。

今回のtwitterでの反応を見ていると、世の中には意外にビビリが多いんだなと思う。ビビるんなら、とっとと逃げ出せばいいのに、そうjは言いながらも東京にとどまっている。要するに、彼らも本当に信じてはいないのだ。どこかで、大丈夫だと思っていて、ただ最悪のシナリオを考えて行動していると言うつもりなのだろうが、そんなの考えるだけ無駄だ。ここでポジティブに考えられないのなら、正直言って救いはない。早く東京を脱出した方がいい。東京にとどまって頑張ると言うのなら、そんなデマを信じないだろう。信じたっていいことなんて1つもないのだ。

もう一度言おう。僕らはここで踏みとどまらなくてはいけない。それが復興の第一歩だ。日本の経済へのダメージを最低限に抑え、お金の面でも精神的な面でも被災地を支えること。これが僕らに課せられた第一の使命である。デマに踊らされて(もしそれがデマでなかったにしてもだ)周囲にも不安をまき散らすようであれば、早くここから出て行ってもらいたい。そういう輩には用はない。一緒に戦う戦友にはなり得ない。
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国家的PTSD

2011/03/30 00:30
震災による二次被害が広がりつつある。

今回の地震および津波による死亡者はおそらく2万人を超える。それだけ多くの人がリアルタイムで津波にのみ込まれていく映像をテレビで何度も見て、命からがら避難できたが肉親などを失った人々の嘆きをも見る。その映像はあまりにもスケールが大きすぎて、ある意味現実感がないのだが、徐々に時間が経ってくるにつれ、その事実を感じるようになる。それはあまりにも人間の想像力を超えているので、僕らはその被害をきちんとした理性でとらえられない。でも、ふとしたときに感じるのだ。あまりにも無力な人間の非力さを。自然のどうもうな力を。そして数万、いや数十万の人々の悲しみを。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)。

その名は誰もが聞いたことがあるだろう。僕もそうだ。でも、それがどんなものであるかを理解してはいなかった。でも、ここ数日、僕のココロにも少しばかりそういうショックの影響が出ているような気がする。ふとした瞬間に、涙が出て止まらなくなる。先日もそんなことがあった。特に悲惨な映像を見たわけでもなく、普通にニュースか何かを見ていたときだったのだが、なぜか唐突に被災にあった人たちの悔しさ・悲しみみたいなものがぐわあーっと押し寄せてくる感じがして、涙が流れ、流れただけではなく嗚咽に変わり、止めることができなかった。僕は結構タフな人間だと思っているし、涙だってそんなに流すことはないのだが、ここ1週間くらいで同じようなことが何度かあった。つまり、自分の想像の域を超えたところで僕は心的にショックを受けている。理性は何とでもなるが、深層意識の制御はどうにもならない。テレビなどで見た映像に現実味がなくても、その悲しみというか凄絶さのようなものは、おそらくしっかりとココロの奥に刻みつけられている。それが、ふとした拍子に表に出てくるのだ。きっと、こういう状況が酷くなると、PTSDと呼ばれるようになるのだろう。この僕ですら、そう感じたくらいなのだから、かなり多くの人が似たような症状にとらわれているのではないだろうか。

いわんや、被災地においてをや。

被災地では、今でも寒い避難場所で寝るに寝られぬ夜を送っている。その多くの人が肉親や大事な近しい人を失っている。テレビで伝えられる映像は、東北人ならではのツッパリというか、「大丈夫、涙流してる場合じゃない」なんて強がっているが、そうやって自分で自分をだまさないと、やっていられないくらいの精神状態であると推察される。涙も出ない、というような状況なのかもしれない。でも、時間が経つにつれて、間違いなく悲しみが押し寄せてくる。すでにあの日から20日が経とうとしている。おそらくもうすでに、悲しみがはち切れてしまっている人が何人も出ている頃だろう。でも、周りを見てもみんな被災者。自分だけが悲しんでなんかいられない。そう思ってまだ神経を張り詰めているのかもしれない。それだけに反動もきっと大きい。そういうことを考えるだけで、こちらもまた止めどもない悲しみに襲われる。いわば悲しみの連鎖だ。国家的なPTSDと言ってもいい状態に、今の日本はある。

しかし、だからこそ、僕らは泣いてたりする場合じゃない。

被災地の悲しみはどこかでしっかりと感じつつも、僕らはとにかく笑える。そういう環境にある。笑うことが不謹慎だと言う人もいる。でも、国全体が喪に服してしまったら、この国はどうなる? そもそも、僕らはそんな被災者面なんてしている立場じゃないのだ。被災者の方々の本当の苦しみ・悲しみなんてわかりようがない。僕だって感じている気がするだけで、本当は自分の弱さに泣いているだけなのかもしれない。だから、僕らはそんな気になってちゃいけない。泣いている場合じゃないのだ。

でも、被災地はなんとか持ちこたえてほしい。まだ正直、音楽や演劇などの芸術の出番じゃないと僕も思うが、ココロのケアはそろそろ必要になってくる。そういう部分こそ、実は医療じゃなくて、一般の人、ボランティアが一緒に背負って一緒に話して一緒に泣いてあげられる部分なのかもしれない。誰かがそばにいてくれること。それこそが、きっとPTSDには一番の薬になると思うから。


みんながこの状況を持ちこたえられますように。
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ビールまで消えたコンビニ

2011/03/27 12:00
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そろそろ東京近郊も生活自体は落ち着いてきている。昨日の土曜日、地元の蕨・戸田地域をぐるっと回ってみたが、ガソリンスタンドも自動車が並んでいなかったし(給油制限はあるようだが)、大手スーパーも食料品はほぼ通常通りに入荷されていたようだ。ただ、あるものに限っては、かなり品薄になっている。それはやはり「水」と、それに関連する商品だ。

今週、東京の金町浄水場で乳児が摂取する制限基準値を超える放射線が確認されたのをきっかけに、都内やその周辺で「水」が姿を消した。前にも書いたように、これは相当なパニックになると思ったが、やはりそのようになった。一応ミネラルウォーターの供給自体は行われているのだが、先週くらいまでのガソリンと同じで、制限をかけないと、本来必要でない人までが多量に買っていくので、今1歳未満の乳児を持つ家庭だけを対象に販売している状態だ。大手スーパーでは、その列に100人程度が並んでいた。乳児がいる家庭だけでもこんなにあるのだから、その他の人たちは本当に買うのを控えてほしい。だいたい、今のところ、僕が住んでいる地域では、乳児も含め水には何の問題もないのだから。

そんなわけで、「水」に関しては、どの店でも制限販売という形を取っているようだが、なんと今度はビールまでもが品薄になってきている。大手スーパーでは在庫が豊富にあったが、コンビニなどは壊滅状態である(写真参照)。この理由は今ひとつよくわからない部分もあるが、消費者的なマインドでは、「水が飲めないならほかの飲料で」という気分と、「ビールには放射線抑制効果がある」という話(本当か?という気もしないではないが)を信じてのものではないだろうか。それと、製造側の問題もある。ビール製造メーカーは、同時にミネラルウォーターなども作っており、「今はビールよりも水だ」という大号令がかかっているものと推察される。ニュースでも、各飲料メーカーが生産量を上げると報道されていたが、そのしわ寄せがビールの供給料に影響を及ぼしているのだろう。本来は違う製造ラインだとは思うのだが、取水している地点は同じだったりするので、その水をビール製造ラインに持って行かず、「水」のほうに向けているんだと思う。いずれにしても、日々の生活にビールが欠かせない僕にとっては、はなはだ困ったことになった。まあこの際、ビールを禁酒してもいいんだけど。

さらに困ったことがもうひとつ。僕はいつも水道水をポット型浄水器でろ過して飲んでいるのだが、その浄水カートリッジがこれまたお店にないのである。それどころか、浄水器自体も品薄状態。これまた、水の問題で「活性炭がヨウ素除去にある程度の効果がある」という話から、駆け込み需要が巻き起こっているのだろう。ずっと前から浄水器を使ってきた僕だが、こんな状況は見たことがない。しかも、時期が悪い。実は、浄水器の新製品がもうすぐ各社から出る予定なのだが、そのせいで、旧モデルについては今生産調整を行っているはずなのだ。つまり、在庫限りという状況なのである。連休前くらいまでには供給も追いつくと思うが、それまでは浄水器も品薄が続くだろう。もちろんカートリッジも。

しかし、これでは困るので、家に帰ってきてから速攻でインターネット通販で浄水カートリッジを注文した。こういうときはみんな2個3個と買いだめすると思うが(ちなみに1パックで3個・約半年分となる)、同じように困っている人がいるはずなので、1個だけ購入した。こういうときにインターネット通販はやっぱり便利だ。あちこちお店を回らずに済む。

まあそんなわけで、今東京とその近郊では「水パニック」が起こっている。これを回避するには、やはりもう一度制限基準値を見直すほかない。僕らは今後微量の放射能とはうまくつきあっていかなくてはいけなくなってしまったのだ。そのことをみんながきちんと認識し、そして正しい放射能の知識をつけて対処していく必要がある。まあ大丈夫。そんなに影響はないはずだ。

それにしても、大手スーパーの豊富な商品量に対し、コンビニの壊滅的なモノのなさにはビックリする。飲料コーナーでは、水やお茶や牛乳をはじめビールまでもが売り切れですっからかん。パンもなければ、お菓子も品薄。もちろん生鮮食品はさっぱりない。コンビニである程度供給されているのはおにぎりと、昼時のお弁当くらいなものではないだろうか。コンビニはふだんは非常に便利だが、今回のようにサプライの問題(ガソリン不足など)があると、このように末端の店舗ではすぐに供給不足となってしまう(おそらく後回しになってしまっている)ようだ。今回のことでいろいろな影響があちこちに出ているが、このままだと、コンビニも相当数つぶれるんじゃないだろうか。

あと、コンサートなどの興業の中止が相次いでいるが(僕も、3月12日に行く予定のコンサートがなくなった)、これに対する払い戻しも混乱を極めているようだ。プレイガイドが取り扱う、中止になったコンサートはこの1か月程度でも100を超える。WEBサイトにアクセスしたら重くてつながらず、おそらく処理限界を超えている。この払い戻しで、プレイガイドが被る被害は甚大だ。このままこの自粛ムードが続くと、大手プレイガイドの1つや2つつぶれてしまうかもしれない。今回の件における二重三重の被害はすでに出始めているのだ。
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日本の強さと弱さ

2011/03/25 02:10
今回の震災で、日本に対して、100を超える国や地域から支援の申し出があったそうだ。
そのことは非常にありがたいし、僕も、日本という国はまんざらでもないと思った。実際、外国に行ってみても、日本人だということでマイナスになったことはほぼなく、日本人であることによって市井の人々から興味を持たれたり、他の東洋人と比べても好印象を抱かれていると感じたことが多かった。日本人は、基本的に、そんなに悪いことはしないし、礼儀も正しいし、外国からすれば非常に「いい国民」なのだ。そして、今回の災害の映像は、自然災害とししては、おそらくテレビが普及し始めてから最悪のようなものである。そのせいで、フランスなどでは、ちょっとした大げさな日本壊滅デマのようなものまで出ているようで、それが余計に、各国の日本に対する哀れみを助長していると思う。

しかし、僕ら日本人、被災地ではない日本人はまったく普通に生きているし、東京なんてすっかり普通にビジネスを再開し始めている。やはり、国内と海外とでは、情報の伝わり方が違うなと思った次第だ。こういう状況の中では、おそらくインターネットが非常にリアルな今を届けてくれるだろう。そんなことも期待しつつ、今はこの記録を記している。


さて、上記のように、世界中から賞賛されているような報道ばかりがなされる我が国であるが、実際のところはどうなのだろう。もちろん、日本人の慎み深さや忍耐強さは、今回の災害で非常にクローズアップされたし、実際、同じ日本人としてそういう気持ちにはすごく共感する。僕らは、自分よりも他人を生かす。そういう気持ちが根底にある。ある意味で、仏教の諦観が染みついているのかもしれないが、いざとなったら、おそらく自分を殺してでも他人を救うだろう。僕の中にもそういう気持ちがあるのを、今回の災害で認識した。日本人の自己犠牲意識は、世界でもおそらくトップレベルであろうと推察する。

そういう芯の部分での強さというのは、日本人全般の美徳であろう。今回の震災に遭われた人たちの中にも、自分が被災者であるにもかかわらず、泣いてなんていられない、前向きに考えようという人がなんと多かったことか!! 東北人特有の気質とも思えるが、僕が同じ立場だったら、きっと同じようなことを言ったろう。であるから、余計に泣けてくる。そういう一種の強がりに共鳴してしまうのだ。僕とこの人達は同じだ。そういう気持ちをすごく抱いた。だから、よけいに心が痛む。

日本人の本当の強さはここにある。いざとなれば自分を犠牲にしても他を生かすという精神だ。この気持ちが、コミュニティや会社や、学校や、その他の団体を支えている。封建的と言われればそれまでかもしれないが、僕らの「血」の中には、そういう記憶が深く刻まれている。戦中だったら、神風特攻隊として志願した若者の気持ちがわかるのである。僕の中にもそういう気持ちがあった。今回の震災でそれは本当に思ったことだ。だからこそ、日本はこれしきの躓きで沈んだりしない。絶対に這い上がる。そういう確信を得ているのである。


しかし、そんな日本美談の裏で、日本だからこその悪い面もさらけ出してきている。それもやはり綴っておかなくてはいけないだろう。

まず第一に、日本人はあまりにも情緒を重んじすぎて、ドライな決断ができないフシがある。原発の避難問題にしても、放射性物質の基準作りにしても、原発の事後対応にしても、すべてが何となく曖昧で、誰も責任を取らない。そんな感じが充満している。国家の一大事にあって、本当に大事なのは、善悪を超えた強い統率力であろう。悪い言い方だが、この非常時においては、自衛隊にしても、消防隊にしても、相当危険な任務に就かざるを得ない。そして、隊員をその危険にさらしながらも、自国の防衛を守り通すのが軍人であれば、現地の自衛隊や指揮官が「終え前ら死んでこい」と言えるかどうかだと思う。非常に不謹慎なことはよくわかっているが、そうしたドライな決断も、指揮官としては絶対不可欠だ。戦略を担うものは、そういう厳しい選択を迫られるものなのである。

このほかにも、日本人の弱さが露呈している部分はたくさんあるのだが、今はむしろ日本人としての強さに多くを賭けたい気分でいっぱいだ。
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意外に平静なTOKYO

2011/03/25 01:19
明日で、あの地震から2週間となる。

僕が毎日仕事をしている東京では、先週はさすがにちょっと混乱していたが、今週は企業も比較的動き始めていて、電車もほぼ平常通り動き、輪番停電にも何となく慣れ始め、木曜日の時点ですでに平時の東京が踊りつつあるのを感じる。週末にかけて、それまで自宅待機だった企業も通常営業に戻り始めたようで、若干電車が少ない鉄道各線は非常に混み合っている。それでも、みんなの表情は少しだけ明るくなっているように思う。僕ら日本人のビジネスマンにとっては、普通に仕事できる環境こそが、もっとも平時を感じられる、落ち着ける時間なのかもしれない。

もちろん問題が解決したわけではない。昨日発覚した原発事故に由来する放射線の水道水への混入は暗い影を落としている。あちこちで「買い占めはやめよう」と言っているにもかかわらず、結局こういうことがあると、みんな買い占めに走る。いくら言ってもやっぱり無理なのだ。だからこそ、政府には、そういう発表を軽々しくしてほしくないと僕は思う。みんな、情報を開示せよ!とあちこちで叫んでいるが、僕は結局パニックになるだけだから、止めたほうがいいような気がしている。もちろん、本当に生命の危機があれば、迅速に知らせるべきだが、今回の水の件や、ほうれん草の件は、もっと吟味してから発表してもよかったと思う。無用なパニックや経済マヒを起こさないためにも。実際、今日の計測値では、東京の金町浄水場の放射能物質は、基準値以下に下がっていた。雨水によって、水溶性の物質濃度は一時的に上がることもあるが、こうやって下がることもある。だからこそ、一時的な値ですべてを判断するのは危険だし、無用なパニックを起こさないためには時間をおいてきちんと計測したほうがいい。今の政権は、そのあたりのコントロールが実に下手だ。あるところでは隠蔽しているかもしれないが、あるところではバカ素直に公表したりする。要するに、そういう情報操作に関しても、一貫したポリシーがないのだろう。

しかしながら、本来は原発なんかが問題になっていてはいけないわけで、日本はもっと東北を助けないといけないのだ。昨日は、中目黒駅前でマジシャンのマギー審司さんが募金しているという情報をTwitterで見て、思わず僕も遠回りして会社帰りに募金してきたが(彼は蕨出身なんだよね)、東京の人間は、自分の健康を考える以前に、もっと東北の被災地に心を寄せるべきだ。あるいは福島の現地の人の苦しさを考えるべきだろう。マスコミも悪い。原発のことなんて、なるようにしかならないんだからもう過度に報道する必要はない。淡々と事実関係の整理と、各地の放射線の値くらいでいいんじゃないか。今もっと大変なのは、東北の被災地なのである。東北道がようやく全面解放されたらしいが、これから民間ボランティアが本格的に入っていって、物資や医療やその他のケアなどの行動を行うという時期に、一進一退で、おそらく東京都民にたいした影響のない原発なんかほっとけ。そして、東京近郊の人間は、そんな情報でうろたえるな。前にも書いたが、銃後には銃後の戦い方があるのだ。こんなことでは、ご先祖様にも笑われますぞ。
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水を巡る問題

2011/03/23 23:28
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3/23(水)

一昨日・昨日と関東地方にも冷たい雨が降って、今日はそれも上がり暖かい春の日となった。
雨が降ったおかげで、空気中の放射線濃度は一時的にしろ下がっている。しかし、空気中の放射能物質は消えたわけではない。雨に含まれて下に落ち、川や海や土にしみこむ。そうなるとどうなるか? 当然ながら川や土地が汚染されていく。これくらいのプロセスは小学生でも容易に理解できるだろう。

そして、今日、そのことによる困ったことが明らかになった。東京都の葛飾区にある金町浄水場で、乳児が摂取して問題ないレベルの2倍の放射線が確認されたのだ。事態がここまで進めば当然そのようなことは起こると予想していたが、今日がまさにその日となった。

とは言え、今日検出されたのは、1リットルあたり210ベクレルの放射性ヨウ素ということだ。一般的な飲料水として、現在定められている摂取制限基準値は1リットルあたり300ベクレルなので一応大人はセーフだ。ただし、1歳以下の乳児については1リットルあたり100ベクレルが摂取制限の基準となっているので、乳児に対しては今回アウトということになった。ちなみに、その前に問題となったほうれん草などについては、2000ベクレル/kgが暫定摂取制限の基準である。

しかし、この摂取制限値というのは、非常に厳しめに定められた「絶対安全」とでお言うべき指標らしく、実際にはこの数百倍くらいの放射性物質を1年間で摂取したとしても健康に被害があるレベルではないらしい。前回のほうれん草のときもそうだが、とにかく今の基準が厳しすぎるのではないか?というのが、僕の考えだ。平時ならいざ知らず、この非常時に、食べ物や飲み水を無駄にすることはなるべく避けたい。現に今東北地方では、食べ物がなくて待っているというのに、関東ではそんなよくわからないレベルの放射線のために食糧を廃棄している。そんなことをするくらいなら、そのまま被災地に届けたいくらいだ。

ほうれん草のときも思ったが、日本人はある意味で潔癖すぎるきらいがある。放射線についても、よくよく知りもしないくせに(僕もよく知らない。だからいろんな人の意見を慎重に聞いている)、その単位がどんなものなのかも理解しないままに「それ危険だ」ということにしがちだ。しかし、よくよく聞いてみれば、今の数値はそれほど危険なレベルではない。もちろん今後もっとひどくなることはあるかもしれないが、少なくとも今はそれほど問題にするレベルではないのだ。だから、やたらに騒ぐべきではない。誤解を恐れずに、僕が今感じている表現のレベルで言えば「多少汚れがついている」程度の問題でしかないからだ。

ただ、ほうれん草は洗えばある程度汚れは落ちるだろうが、水はそうはいかない。だから、人々がパニックになるのは、ほうれん草の比ではないと思う。僕らは水を飲まずには生きていけない。そして、日本は水だけは安全という神話が浸透している国でもある。水が汚れることに対する恐怖心は、日本は世界一じゃないだろうか。実際、水道水だってまったく安全なのに、浄水器やミネラルウォーターが飛ぶように売れている。僕も以前はミネラルウォーターを買っていたが、今は水道水+フィルター浄水器で済ませている。まったく問題はないし、美味しいと思う。

でもちょっと待て、と思うのだ。日本人は今まで水に対しては恵まれすぎた環境にいた。それが多少汚れたくらいで騒ぐんじゃないと。放射線についてはよくわからない部分が多いだけに怖いのはわかるが、専門家が大丈夫と言っている。僕らは多少疑問を持ちつつ、その情報を鵜呑みにしないまでも、インターネットで少し調べれば、それも嘘ではないことがわかるだろう。だから、安心していい。ひとまず今のところは。

世界を見たら、もっと比べものにならないほど劣悪な水を飲んでいる人たちがたくさんいる。と言うか、ほとんどの国はそういう水を飲んで生きているのだ。日本人の胃はデリケートなので、そういう国の水を飲むと下痢をしたりするらしいが(僕は一度もなったことがない)、それに比べたら、今の水の汚れなど、本当に微々たるものだ。もちろんほうれん草にしたって同じ。こんな問題のない野菜を(さすがに福島東部のものは数値的にちょっとまずい気がするが)出荷停止にしたりするのはおかしい。一刻も早く、今の基準を見直すべきだと思う。

しかし、そうは言っても、水に対するパニックは今後も続くだろう。そして、今後この数値が上がっていくことも容易に予想できる。その場合に、日本人としてどの程度まで、自分の健康とはかりにかけて許容するのか。それが問題でjはないだろうか。今のレベル(多少上がったとしても)が続くなら、僕はもう「安全」と言っていいと思う。少なくとも僕は水道水を飲む。福島の場合は別だが、東京近郊でそんなにビビることはない。後は、乳児に対してどのようなケアを行うか。問題が不可避となった場合に、東北地方への水の供給も大事だが、関東近県への乳児に対する水の供給も始めなくてはいけない時期にきているかもしれない。幸いにして、日本にはいい水源がまだまだたくさんある。これは医療の一環として行ってもいいだろう。ただし、大人は水道水を飲む。そのために、今の基準を再度見直し、どの程度までなら大丈夫というガイドラインを、政府なり厚生労働省は早急に出すべきだ。食糧もパニックになるが、水はそれ以上にパニックを起こしやすい。みんなが疑心暗鬼にならないうちに、スピーディーに結論を出してほしい。これは、待ったなしの問題だ。
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食品の安全性(潔癖すぎる日本人)

2011/03/22 01:12
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福島原発からの放射線漏れで、福島を中心に関東地方でも微量な放射線が確認されている。ただし、政府発表でも、測定値でも、今のところは人体に影響のあるレベルではなく、ごくごく少ないレベルでの放射線が確認されているにすぎない。ただし、当然ながら、空気中に漂っている微量な放射性物質は徐々に落ちてきて、土や水や畑の野菜などに付着する。一昨日くらいだったか、福島の牛乳(原乳)、茨城や栃木、群馬など北関東のほうれん草やカキ菜などから、この微量な放射線が確認された。そこでまたちょっとしたパニックである。

いろいろなニュースなどを見ても、官房長官の会見でも、特に人体に影響があるわけでもないので、冷静に対処してほしい、ということだったので、当然ながら、これくらいのレベルで出荷停止とかはないと思っていたのだが、何とびっくり、県レベルで出荷停止ということになってしまった。え、どうして? 身体に問題ないって言ってるのに、どうして全面出荷停止なのか? そもそも、放射性物質はほうれん草やかき菜だけではなく、あまねくどんな作物や、それを食べる家畜からもおそらく検出されるはずだ。そうしたら、そういうものすべて出荷停止となるのか? 洗えば落ちる程度の、大して害もない物質、いわば汚れのようなものなのに? いやいや、今回の措置はまったく納得できない。ちなみに、農協などは、風評被害を避けるために、出荷自粛の停止を求めたようだが、これは容れられなかったらしい。官房長官は、「風評被害の防止のため」「冷静に」と言うが、はっきり胃って逆効果でしかない。これで、ただでさえモノが少なくなっているスーパーから、近郊農業の野菜が消えたらどうすんのか? これは、大きな政治のミスリードである。

しかし、どうしてこんなことになってしまったのか。理由は2つあると思う。1つは、日本人の不要とも言える潔癖症のため。もうひとつは事なかれ主義だ。後者について、「後で何か起こったら困る」という政府や県や役所の責任を取りたくないという姿勢である。なんだかよくわからないが、安全とは言えないので「とりあえず出荷停止」ということになったが、結局誰も安全と判断できないのでフタをしただけであろう。被害を受けるのはもちろん農家だ。そして、それを使う外食産業も困るかもしれない。だいたい、農薬を使った野菜は普通に出回っていて、そういうのはみんな気にしないくせに、なぜ放射線になると途端にダメになるのか。まあこれも無知のなせる技か。もしくは責任を取りたくないお上の問題か。合点がいかない。

さらにもう1つの理由。日本人の潔癖症の問題がある。これは根が深い。ここ最近「食の安全」みたいなことがやたらと言われるようになってきて、それはそれでいいのだが、今回の例でもわかるように、多くの日本人は、細菌とか放射線とか、あるいは虫みたいなものでもいいんだけど、そういうモノに対して異常なほどの生理的嫌悪を感じるようだ。細菌も放射線も自然界にあるものだし、虫は植物を食べる生物である。そもそも人間の体内にもこういう生物が住まっていて、いろいろな働きをしているのだ。つまり、本来はあって当然のモノに対してまで、異常なほどの恐がり方をする。さらに、「賞味期限」のような、特に安全性の問題ではない単なる日付に異常にこだわる。もちろん腐ったものを食べるのはよくないが、そんなものは見れば、あるいはニオイなどでわかる。であるのに、まだ十分に食べられるものまで捨てる。色が悪くても捨てる。何というか、食品に対して異様にナーバスなのだ。そのくせ、そこに使われているであろう農薬や、影響を受けているかもしれないダイオキシンなどについては、基本的にスルーだ。微量な放射線が付着したほうれん草と、農薬たっぷりで育った虫のつかないほうれん草、どっちが身体に対して悪影響があるのか。よくよく考えた方がいい。

21世紀には、必ず食糧危機が訪れると、あちこちで言われている。もしかしたら、今の日本はいち早く食糧危機の状況に陥る可能性があるのかもしれない。食糧自給率は低く、その割に国民は異様にキレイなものしか食べようとしない。これからはちょっとくらい汚れていようが、形や色が悪かろうが、食べられるものは食べていかないと、本当に食べ物がなくなってしまうかもしれない。そうなったら、今どころではない大パニックが起こる。結局、人間は食べなくては生きていけない。そして飢餓に陥った人間は生きるためにはいろんなことをやるだろう。そうならないように、日本人はもっと食品に対する敬意を払うべきだし、今回のパン買い占めに見られるようなことにならないよう、もっと自国の食糧自給率を上げなくてはいけない。ここのところすっかり聞かなくなったTPPのことも、今回の災害でもう少し考え直すきっかけになればいいと思う。
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NINE

2011/03/21 03:06
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ミュージカル映画「NINE」をWOWOWで見た。フェリーニの「8 1/2」をモチーフにした一種のリメイク版という話は聞いていたが、実際に見てみるとまさに「8 1/2」の世界。て言うか、ほぼそのままなのにびっくり。でも、ちゃんとブロードウェイミュージカルに仕立ててあって、随所に差し込まれるダンスと歌が見る者をまったく飽きさせない。さすが!ブロードウェイという作品だった。監督は「シカゴ」のロブ・マーシャルということで、まさに「シカゴ」ばりの、上手い演出にも拍手! これ実際に舞台で見てみたい!という思いを強くしてしまった。原作の「8 1/2」の世界観やシナリオ、さらには登場人物の雰囲気なども生かしながら、見事に一流のミュージカルへと仕立て上げているあたりは、本当に脱帽である。元の「8 1/2」は、正直ちょっとアバンギャルドすぎてよくわからない部分も多かったのだが、本作はそういうことがなくて、エンターテインメントとして完成されている。誰が見ても楽しめるそういう作品になっているのだ。

俳優もすごく豪華でいいのだが、特に印象的なのは、主人公グイドを演じるダニエル・デイ・ルイス。「8 1/2」では、マストロヤンニが演じていた役だが、雰囲気から何からそっくり! 相当研究したんだろうなあと思う。イタリア人らしい巻き舌の英語もナイスだった! 女優陣では、一番やるなー!と思ったのはペネロペ・クルスだな。本作でのペネロペは本当凄い! 「シカゴ」のキャサリン・ゼタ・ジョーンズもよかったけど、それに迫る勢いかも。身体張ってるし、エロいよねー。本当女優魂感じますわー。もう凄い凄いの大絶賛でした。あと、ダンスでよかったのは、シカゴの「タンゴ」と同じような群舞が見られるサラギーナ役のステイシー・ファーガソン。このダンスは圧巻。ぜひ生で見たい! あと、ヒロインを演じるニコール・キッドマンもいい。彼女は、「ムーラン・ルージュ」でも結構ミュージカルやってくれてたし、ちょっとクセはあるけど、やっぱりいい女優だと思う。

そんなわけですごく見どころの多い映画「NINE」。フェリーニの「8 1/2」を見た人は余計に楽しめるし、あれがちょっと苦手という人でも十分楽しめる内容になってるので、ぜひご覧あれ!

映画.com 「NINE」紹介ページ
映画「NINE」公式サイト
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首都圏停電7日目

2011/03/21 02:23
このシリーズもようやく1週間が経ったが、実はこの連休は計画停電が予定されてないので、いたって普通の休日である。申し訳ないくらいに。

この休日の予定がすべてキャンセルになってしまったので、何となくダレダレムード。天気はそこそこいいが外へ出る気にもならず、何となく眠くて、比較的早く起きたのに、3時くらいまでボケッと横になったりしている。これではいかんと思い、ひとまずは部屋の掃除などをして気分を切り替えようとする。少しだけ片付いたところで、何をしようかと悩む。やることはいろいろあるのだが、その中で何を優先してやらなくてはいけないのか。頭の中を少し整理する。ここ数日、みんなが「今自分に何ができるのか?」という問いを反芻しているように、僕もそのことをずっと考えている。いや、いつも考えてはいたんだけど、今回のことがきっかけで、そのことをより真剣に考えるようになったというほうが正しいだろう。

しかし、この命題は、「自分はどう生きるか?」という命題に等しいような、難しい問題だ。「自分にできることをやる」という意味はいろいろに取れるが、普通に考えれば「今やっていることを一生懸命やる」というようなことになるかもしれない。あるいは、「今やっていることをしっかりやったうえで、プラスアルファの何かをやる」ということかもしれない。ただ、その「プラスアルファって何だ?」という気もする。今回のような災害の場合、義援金を送るなどはまあ当然として、それ以上に何かをするとしたら、ボランティアのような活動ということになるのだろうが、果たして僕のすべきことはそれなのか?という気もしてくる。もちろんボランティアだって何だってやる気はあるのだが、もっと有益な自分の生かし方はないのか?そう思わなくもない。さらに突き詰めて考えれば、「今無駄なときを送っていないか?」というような問いにもなり、「もし自分が被災して明日死ぬとしたら、今の生き方を後悔しないだろうか?」というような根源的な問いにもつながる。そうなると、そう簡単に答えが出ない。

で、ふと思ったのだが、僕は僕の得意なことをやろうと。そうなると、僕が人より得意なことなんて「書く」ことくらいしかない。だから、今こうやってひたすら毎日何かを書き付けている。ただ書くだけでなく、読む人にも何かが伝わるような、駄文ではない何かを書こうとしてはいる。これをひとまずは継続しよう。そして、もう少しオープンな世界で伝えていこう。

と言うことで、放置状態だった自分のホームページを久々に更新し、これまた放置状態のブログを少し整理してみたりした。後はここで何かを書いて発信していこうと思っている。以前から構想だけはあったのだが、忙しさにかまけてやっていなかった。でも、今回はいいきっかけなので、ひとまずやってみようと思う。いつまで続くかわからないが、できるだけ「今」を切り取るように、そして震災の陰で埋もれがちなニュースなどもできるだけピックアップしていければと思っている。多言語対応もできればいいのだが、ちょっとそこまで時間があるかどうか。すっかり錆び付いている英語の復習も兼ねて、英語でもできるだけ併記していこうとは思うが、あまり長文になると厳しいな。


さて、そんな作業が一通り終わって、夕方散歩がてら買い物に出る。僕の場合、ふだんから買いだめするクセがあるので、食料にはストックがあるのだが、さすがに野菜などは傷んでしまうので、そういうものだけ買っている。あとお酒。保存食は保存食なので、今買えるものは今買って消費しようという具合だ。もちろん買い占めとかそんなことは絶対にしないが。

スーパーに行ったら、案外野菜などは大量に売られていて、東京近辺のモノの豊富さを知る。関東近郊にたくさん農家があるので、ひとまずにしても野菜は手に入るようだ。魚なんかも少ないがあることはある。ただし、ほとんどないものもある。パン・牛乳はもちろんだが、豆腐系、ヨーグルト関係も全滅。練り物系もなかった。あと缶詰とかもなくて、乾麺・パスタ系もかなりなかった様子。まあ僕の中でちょっと困るのは豆腐くらいなものなので、そんなに影響ないが、なんか売れているものが偏っているなあと思った。お客さんもかなり少なかったし、消費がどうも滞ってきている感じがする。

隣の薬局を覗いたら、ティッシュペーパー、トイレットペーパーはやはり全滅だった。こちらも今すぐに困るというレベルではないが、あと2週間くらいしたらなくなるかもしれない。それまでに流通が戻ってくれればいいが。まあ今はなるべく節約するしかないな。幸い、今は洗浄便座があるので、昔ほど紙は使わなくなってきているとは思うが。

で、結局、キャベツ、タマネギ、長ネギ、ジャガイモといった野菜と、いつもの鶏肉、そして晩酌用に鰹のタタキとマルベックの赤ワイン(なぜかすごく安い)などを買って帰る。そんなに普段と変わらない買い物だ。豆腐はないけど我慢しよう。

しかし、今日はとても暖かかった。昨日ドライブに出たときに、早い桜はもう咲き始めていたが、この分だと来週くらいには桜もあちこちで咲いてくるだろう。今年は例年のような花見はきっと自粛だと思うが、こういうときの桜はなんだかよりいっそう胸を締め付けるような気がする。日本人のメンタリティの中には、桜は死と分かちがたいイメージとして捕らえられている部分がある。だからこそ、今年の桜はきっとみんなの胸に迫ってくるはずだ。そして、この後も桜を見るたびに今年のことを思い出すのかもしれない。だからこそ、今年の桜はちゃんと目に焼き付けておきたいと思う。
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急遽ブログを復活します!

2011/03/20 16:01
ここのところ、個人サイトやブログもほとんど更新せず、という状態が続いていましたが、
現在の日本が置かれている状況をいろんな人に知ってもらいたいという理由から
急遽このブログを復活させようと思います。
mixiなどで書き溜めていた日記などもあるので、まずはこちらから転載します。
どれくらいの人に読んでもらえるのかわかりませんが、SNSよりははるかにオープンですので。

ということでよろしくお願いします。

CAMA
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首都圏停電6日目

2011/03/20 00:41
今日は土曜日。しかも三連休の初日である。天気は快晴!暖かい。

普通であれば、行楽地などへ向かう人で道路も混み合うはずである。

しかし、今日の道路はガラガラだった。車がいつもの半分以下しか走ってない。動こうにもガソリンがないのである。その代わり、ガソリンスタンドの前はどこも大行列。行列なんてもんじゃなくて、1つの店に1km以上連なるような大渋滞である。こんな光景は初めて見た。ここ埼玉県においてすらそんな感じなのである。まして被災地においてをや、という感じがする。

今日は会社は休みなのだが、やらなくてはいけない仕事(カーナビのロケ)があり、自分の車で地元を走った。こんな時期なのであまり遠くにもいけないため、近場の温泉施設まで1時間程度のドライブ。上述のように道は空いていたが、ガソリンスタンド周辺では渋滞が起こっており、在庫切れで閉店しているガソリンスタンドも多数あった。ここ数年、規制緩和による価格競争などの影響によってガソリンスタンドの数が激減していたが、こういうときになって、末端の備蓄の問題が露呈してしまったわけだ。実際蕨市内でもガソリンスタンドはもう数えるほどしかない(多分3軒くらい)。これは今後問題になってくることの1つだろう。行きすぎた自由競争は、意外ともろい社会を作ってしまうのだ。

ロケ自体は順調に進み、お昼過ぎにはほぼ終了。高速道路関連の撮影をしつつ、カメラマンさんをそのまま市ヶ谷の自宅まで届けるため、首都高で東京都内へ。首都高5号線はこんな天気のいい土曜日(しかも三連休初日)なのにガラガラ。なんかこのまま帰るのももったいないなあと思いだし、カメラマンさんを降ろした後、東京の市街地をぐるっと回ってちょっとしたドライブ。仕事帰りだから、多少のガソリン浪費許してね。

新宿から千駄ヶ谷を抜け青山、六本木、芝公園と抜けていく。ふだんだったら結構時間がかかるルートだと思うが、今日は本当にスイスイ。そのまま浜松町から昭和通りを北上し、銀座、上野と抜けて北先住から先住大橋を渡って川口方面へ。東京都内もガソリンスタンドには行列ができていたが、そもそも都内は車がなくても動ける人が多いので、埼玉ほどではない。普通ならこんな天気がよくて予定もなければ、このままどこか遠くまで走っていくのだが、さすがにガソリンも少なくなってきたし、今日はこのまま帰宅。でも、今日くらい、車に乗っていることを特別に思ったことはないように思う。ちょっとした罪悪感と優越感。複雑な気持ちだ。

帰ってきたのは15時くらい。本当ならこの連休は実家に帰って墓参りと思っていたのだが、こんな状態なので車での移動は無理。電車で行こうかとも思ったが、実家のほうでもガソリン不足だろうから駅まで迎えに来てもらうのも何となく気が引ける。さらに電車が止まったらこちらに帰ってこられなくなる。いろいろなリスクを考えた結果、この週末はこちらにとどまることにした。何しろ非常時なのだ。

で、帰宅してから何をしようかと思っていたのだが、テレビを見ていたらなんだかとても眠くなってきて、そのままソファで夜まで寝込んでしまった。こんな暖かい日にもったいないが、まあ休息も必要だ。でも、そういえば、この前収録したラジオのオンエアが今日の夕方だった。うっかり聞き忘れてしまい、ちょっと失敗。まあ後でテープもらうからいいんだけど。

で、起きたのは大きな地震がきっかけ。揺れるときって、身体が敏感に反応するのだろうか。何となく目が覚めてからすぐにグラグラっと大きな揺れが来た。震源地は茨城県。震度は4。普通ならこれでも大ニュースだが、もうこれしきでは驚かなくなっている自分に気がつく。

テレビを見てもニュース関係はさほど状況に進展がなさそうだし、原発のほうも少し落ち着いてきたみたいなので、WOWOWでやっていた映画や、撮りためていた映画などを見る。こういうときに呑気に映画か?という気もするが、ブルーになってばかりでも意味がない。ちなみに近所の映画館は停電のため、しばらく休館ということになっているようだ。

こういうときのエンターテインメントのあり方がいつも問題(話題)になるが、さすがに最初の1週間くらいはそれどころではない感じかと思うが、1週間経った今となっては、国民の暗い気持ちを前向きに持って行くためにも徐々に必要性が増していると思う。ただし、野球やサッカーのように、大電力を必要とするようなものは別だ。国民みんなが停電に耐えて生活しているのに、野球だけ別というわけにはいかない。セリーグが(どこぞの球団オーナーがまたもや中心になってやっているようだが)25日のシーズン開幕を強行しようとしていたが、それも何とか回避されたようだ。まあ当たり前であろう。選手もファンも反対なのに、なぜ進める? 「被災地に元気を」などと大上段に構えたことを言っているようだが、被災地ではいまだにラジオも聴けない人がたくさんいるのだ。関東圏だって停電でテレビなんか見られない家庭がたくさんある。だいたい、プロ野球が国民に夢を与えていたなんてのは、昔々の物語であって、今はそんなに人気ないし。本当に今回のプロ野球界の勘違いと無責任さにはちょっとあきれてモノが言えない。

エンターテインメントに触れたついでに、少し話を広げるが、今日ラジオで聴いた情報として、葉加瀬太郎がロンドンでチャリティコンサートをやっているそうだ。それも今週の月曜日からやっているのだという。先週の金曜日に今回のニュースを知り、最初の2日間はTwitter漬けだったらしい。彼も、最初はどうしたらいいのかわからなかったようだ。しかし、自分はミュージシャンだということを思い起こし、日曜日に周囲のミュージシャンや学生、ホールなどに連絡したところ、じゃあ明日からやろうと決まったのだという。いきなり前日に開催が決まり、告知時間もなかったのだが、Twitterなどで情報発信したところ、数百人が集まったという。こういうフットワークの軽さは、ロンドンとかニューヨークのうらやましいところだ。ホールも無償で提供してくれたというし、こういうところは文化の差としか言いようがない。当然クラシックの演奏なので、一緒に演奏すると言ってもリハーサルは必要なのだが、そういう時間もほとんどなかったとのことで、ほぼ一発本番という状態だったらしいのだが、それでも気持ちを合わせて演奏できたそうだ。もちろん、ロンドンの人たちも日本に対してとても熱いエールを送っており、多くの人が何らかのアクションを起こしている。募金はもちろんのことながら、ボランティアとしてぜひヘルプに行きたいとまで思っている人も多いようだ。本当に、なんともうれしくありがたい話である。

僕の知り合いにもプロのミュージシャンの方がいて、みなさんこの時期にどう活動したらいいのか悩んでおられるようだが、このように海外においても「Pray for Japan」の波が起こっている今、僕ら日本人がやらないのもおかしいと思う。さすがに昨日くらいまでは、東京近辺では社会的な混乱が強かったので、やること自体が無理があったと思うのだが、この連休は停電もないようだし、チャリティという名目であればどんどん活動したらいいと思う。みんな普段は自分のことだけにかまけていて、音楽を聴く余裕もないとおもうのだが、こんなときだからこそ誰かと一緒に祈りたいという気分は強くなると思う。もちろん普段の活動の延長でいいのだが、ぜひお願いしたいのは、何となく不安を持ちながら過ごしている人たちがつかの間でも一体になれるような音楽や時間を作ってもらいたいということだ。みんなで少し祈ってもいいし、みんなで少し歌ってもいい。宗教が希薄な日本だからこそ、音楽がその代わりになれる要素は大きいと思う。僕ももちろん応援します!そして祈ります!

God bless Japan! Let's pray for Japan!

負けるもんか!
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首都圏停電5日目

2011/03/19 00:59
あの忌まわしい地震が起こった日からついに一週間が経った。

思えば一週間前、東京でもものすごい揺れを感じて、そのときのオフィスはちょっとしたパニックになった。これまでに誰も感じたことのない揺れだった。誰もが「これは尋常ではない」と咄嗟に悟ったはずだ。フロアの人間のほぼ全員が机の下に身を隠した。大きな揺れは数分間続き、ビル自体が免震であるために揺れるのだということを頭では理解していても、恐怖が身体を駆け巡った。それくらい、自分の命に危機が迫ってくることを感じる揺れだったのだ。あのときの数分間の恐怖を忘れない。

しばらくして、東京の揺れは落ち着いたが、これはただ事ではなかったという感じは皆が持っていた。インターネットで知った震源地は東北。震源地が遠かったことを心のどこかでほっとしつつ、テレビ放送を見ていた。そのとき僕らが受けた情報を時系列的に整理すると、だいたいこんな感じだったと思う。

1:テレビ放送で、お台場のビルで火災が起きていることを伝えるニュースが流れる。
2:東京都内でいくつかの火災や崩落などの事故が起こっているというニュースが流れる。(九段会館の崩落事故など)
3:千葉県の市原にある石油コンビナートでの大火災が報じられる。
4:初めて聞く「大津波警報」。数値が理解できなかったが、6mの津波が来るという話。
5:やがて東北のカメラが津波の状況を映し出し始める。仙台市で地を這うように進む津波が映る。
6:燃える石巻や大船渡の映像。恐ろしいことが起こっていることを感じて、あっけに取られる。
7:なすすべもなく、テレビで状況をただ見ているだけ。仕事などは手につかない。

後になってしまうと、こういう細かいことを結構忘れてしまうものだ。なので、こうして記録にとどめておこうと思う。きっと、それが僕のすべきことなのだ。そういうわけで、今夜も長文失礼。

あの地震から一週間経った今。東京は一時のパニックも静まって、比較的落ち着いているように思える。輪番停電もまだ続いているが、これも慣れてしまえばそれほどのものではない。電車の運休や間引き運転も、自宅待機という企業の計らいによって、通勤客自体が減り、それほどの混雑はないように思える。それだけ東京の経済活動は収縮してしまっているが、僕などは常々、東京のこのむさぼり食らうような経済活動を「行き過ぎ」と思っていたので、今のような状態はむしろ人間性という意味ではまっとうなのかもしれないと思ってしまう。ただ、日本の経済というのは、過剰な消費がないときちんと回らないようになっている。こうやってみんなが家に閉じこもって、消費もしないとなると、この国は早々に参ってしまうはずだ。そのことは、僕が十数年東京でビジネスの現場にいたことで、何となく肌で感じ取ったことでもある。もちろん、僕が今いる会社にしても、皆さんの消費がパワーになっており、消費が本当に縮小してしまったらそもそも成り立たない。ある意味、僕は、理想と現実の狭間でいつも生きている。僕自身は、ほとんどモノも買わないし、消費とはおよそかけ離れた人間である。その人間が、消費の最前線にいる。それも何となくおかしな話だ。おっと内省的な日記になってきた。この辺で話を戻そう。

今日金曜日は、恵比寿で行き交う人も昨日より多く、電車も昨日より混んでいた。電車の動く区間が伸びたこともあるのだろうが、みんな何となく原発パニックを持ちこたえ、何となく「大丈夫」という雰囲気になってきたような気がする。人々の顔も明るいし、夜にはいつもの金曜の恵比寿と変わらないような賑やかさも見られた。この1週間でいろいろな情報やウワサやデマも飛び交って、かなりの人がパニックになったが、それも何となく落ち着いたようで、東京には日常が戻りつつあるようだ。

前の日記でも書いたが、東京は今休んでいてはいけない。もちろん、同じ日本であのような恐ろしい大惨事が起こり、今もなお大変な生活を強いられている人たちがいることは、非常に心苦しいのだが、かと言って、今の僕たちに直接的な支援はできない。せいぜいが、募金を行うくらいなものだ。であれば、今の僕らは、表面上だけでも普通の経済活動を送り、僕ら自身が被害者のような気分にならないことだ。ここで僕らが普通の経済活動を行うことで、お金が社会に回り、最終的には被災地を助けることになる。銃後には銃後の戦いがあるのだ。

そんなわけで、今日一日はまったく平穏に過ぎた。我が会社は相変わらず自宅待機状態なので、オフィスに出ている人間はごく少数だ。でも静かなので、自分の仕事はかなり進んだ。今自宅で待機している人間の抱えていた案件も、代わりに対応したりして、一応それなりに忙しく1日を過ごしたのだが、いつもの忙しさに比べればものの数ではない。今日なすべきことは20:00くらいには終了したので、そこで帰宅する。いつもの僕にしたら、本当に早く帰っている。だから、こんなに長い文章を毎日書く余裕もあるのだ。

何かもっと書きたいこともあったのだが、ひとまず1週間経った東京は、原発事故の放射線の恐怖はあるものの、表面上は至って平穏だ。東北の悲惨さと比べたら、申し訳ないくらいの平和さである。でも、この1週間で、みんなの意識はすごく変わったと思う。日本は今かつてないくらいに強い絆で結ばれていることを感じる。石原慎太郎が津波は天罰だ的な発言をしたらしいが、それとは違う意味で、もしこの災厄をプラスにとらえるならば、おそらくそれは「絆」が強まったということしかないだろう。僕の好きな映画ドラマに、「Band of Borthers」というアメリカの戦争ドラマがあるが、これなどはまさにこういう状況を端的に綴った物語である。「Band of Borthers」は、第二次大戦時のアメリカ空挺部隊(101師団)の活躍と、最前線の小隊で共に戦った仲間の絆を描いた秀逸なドラマであるが、戦争という極限状態を乗り越えたというその「絆」がいかに強く人間を結びつけるのかをうまく描いている。今の日本は、戦争と似たような状態にある。この危機をみんなで乗り越えたら、間違いなく、僕らの「Band of Borthers」が芽生えるはずだ。それを今後も忘れずにいれば、僕らの日本はきっと強くなれる。そして、きっともっと人に優しくなれる。僕らはそれを忘れてはいけない。いや忘れるわけにはいかない。こんな犠牲の上に、僕らは生きているのだ。

もう1つ、思うところがある。それは「祈る」という行為だ。今回の災害が起こってから、海外の国や著名人から「Pray for Japan」というメッセージが多数寄せられた。これは、キリスト教の国では実に当たり前の表現であるが、日本人にとってはかなり特別なものと映るだろう。この「Pray」という行為は、キリスト教国家では日常的な行為であるが、我が国日本ではまず滅多にやらない。でも今回のことで、僕らは何かに祈りたくなったのではないだろうか。それが本来の信仰の形だと思う。元々僕ら日本人は何かに祈ることを日常としてきた民族である。対象はさまざまで、太陽や月に祈るのは当たり前で、山や海や天狗や狐や蛇やいろんなものに僕らは祈りを捧げてきた。そういう気持ちが、現代の日本人には確かに希薄になっていたのは事実だ。石原晋太郎のようなアホなことは言わないが、情緒的な意味で言えば、今回の災害で、日本人は祈りを取り戻すきっかけになったかもしれない。「祈り」は、裏を返せば「畏れ」である。我ら日本人が、こうした自然の驚異に畏れを感じ、もう一度自然に対して敬意を払うようになれば、きっと僕らは今回のことを無駄にはしない。今後より求められるのは、自然とどの程度まで折り合っていけるか。それはおそらく10mの防波堤を作ることではないだろう。事態がやや収束に向かっている今だからこそ、そういう今後の基本的な姿勢を、国民の1人1人が考える必要があるはずだ。単に原発反対という前に、では原発を使わずに僕らが幸せに生きていける方法を探そう。今の便利さは失われるかもしれないが、本来はそういうことは不要なのだ。僕らは必要以上に便利になりすぎ、自然を軽視しすぎた。今回のことで、みんながそういう気持ちを持ってもらえれば、きっと日本はもっといい国になる。いや、そうしなくては、亡くなった多くの人たちに顔向けができない。

みんな、覚悟はいいか? (Preparence)
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首都圏停電4日目

2011/03/18 00:23
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4日目にして、我が街、蕨にも停電が訪れた。ホントにマジ真っ暗の停電である。こんな経験は、40年近く生きてきてしたことがない(多分)。それだけ恵まれていた人生ということなのだろう。

実は、昨日から、僕の会社も全社的に「自宅待機」令が出された。とは言っても、サービスを完全に止めるわけにもいかないし、クライアントだっている。本来ならば忙しい年度末なのである。というわけで、最低限の業務は行える人間が出社することになった。僕は言わずもがなの出社。ただし、部の人間は全員家に帰した。幸いなことに、何とか昨日中にこの週末から週明けにかけてやらなくてはいけない仕事の目処がつき、僕がいればなんとかなるという状況になったためだ。と言うわけで、本日も普通に朝出社した。

朝の電車はいつもよりかなり空いていた。大手の企業の多くがやはり同じように自宅待機命令を出しているからだろう。おかげで、通常よりもかなり楽に出勤できた。恵比寿の街も人は少ない。不謹慎ではあるが、これくらい静かなほうが気持ちがいい。オフィスに着くと、当たり前だが中はあまり人がいない。

ただ、こういう経験は前にもしたことがある。忘れもしない、2005年のこと。我が社はサイバー攻撃を受けてサービス中止に追い込まれた。そのときもこんな感じだった。でもあのときのほうがもっと辛かった。僕らは被害者なのに、なぜか世間からは落ち度を攻められた。中で働いている人間は、それこそ不眠不休で対応に当たったりしていて、正直ちょっとノイローゼになりかかっていたくらい厳しい状況だった。

おそらく今の東電は同じような状況なんだと思う。その辛さはよくわかるだけに社員には同情もしてしまうが、しかし今回の場合はそれこそ国民の命がかかっている。僕らの場合はそれで誰かが死ぬわけではなかった。それなのに、あれだけキツかったのだ。東電の場合のプレッシャーたるや、相当なもんだと思う。しかし、それがライフラインに携わる企業の使命なのだ。今はとにかくこらえて頑張ってほしい。そして、この危機をなんとか乗り切ったなら、そのときは心からお疲れ様と言ってあげたい。

そんなわけで、今日の昼間のオフィスは非常に静かだったし、逆に仕事ははかどった。また、昨日までは態度を決めかねていた広告クライアントも、出稿の延期などを告げてきた。おかげで少し余裕ができた。代理店の多くも、自宅待機命令が出ているらしく、そんな状態でまともな仕事などできるわけもない。ただ、某大手代理店は、表向きは自宅待機のはずなのに、絶賛営業中で、今日もいろいろ言ってくるから、「ちょっと常識的にどうなのよ? オタクもウチも表向き自宅待機になってるんだよ」と返してやったら、さすがに思い直したらしく、向こうだけで処理することになった。当たり前だ。どうも、あの会社は本当に常識がない。

そんなこんなで夕方まで仕事していたが、午後5時を過ぎたころ、海江田経産大臣が、大規模停電の可能性をほのめかしたため、社内はちょっとした騒ぎに。インターネット企業にとって停電は最悪のシナリオだ。それは事実上の営業停止であり、多くのサーバーが稼働している状態にあって、急な停電が起これば、システムに少なからぬ影響を与える。とにかく、最悪のリスクを避けるため、社内のサーバー関係をいったん落とすという作業を行う。なおかつ、電車の本数も減るという情報が出るに至って、「みんな早く帰れ」というお達しが出た。こちらもなんとか今日やらなくちゃいけないことの区切りはつきそうだったので、結局19:00前には会社を出た。

ただ、その時点で、ラジオなどから、各駅が大変な混雑になっているという情報を得ていたので、これは急いでも逆にいいことがないと思い、まずは慌てず騒がず恵比寿で夕食。それから埼京線に乗って帰ったのだが、こちらは拍子抜けするくらいのガラガラ。京浜東北線もガラガラで、かなりスムーズに帰ってこられた。こういうとき私鉄って大変なんだよね。僕も大学生時代に結構大変な目にあって、それ以来私鉄沿線に住みたくなくなった。その点、JR沿線はこういうときは結構強いのだ。

で、蕨駅に20:00頃に着き、駅を出てみて驚いた。街が真っ暗なのだ。あ、もしかして停電・・とすぐに気がついたが、今日停電になるんだったら、東京にもう少しいればよかった・・。まあ仕方ないのでそのまま家に帰ったが、ひとまずよかったことは、恵比寿で夕食を済ませてきたこと。こっちじゃお店もまったく営業してないから、腹ぺこだったら困ったことになっていた。それがせめてもの救いだ。

それまで経験のないくらい暗い夜道をiPodの音楽を聴きながら歩く。たまたまかかってきたのはボサノヴァ。ナラ・レオンと、ジョアン・ジルベルト。正確に言うなら、ナラ・レアォンとジョアォン・ジウベウトか。最近ちょっとかじったポルトガル語で、ボサノヴァもちょっと身近になった気がする。暗い夜道、明るく照らす月、そしてボサノヴァの軽快な音楽。こんなときに不謹慎ではあるが、なんかとっても贅沢な夜のお散歩という感じに思えて、これはこれで悪くなかった。

やがて家に着き、9階の我が家まで暗闇の中階段を上る。いきなり停電で9階まで上るとなると本当に辛いが、我がマンションは数ヶ月前にエレベーター工事を行って、その間2週間以上エレベーターが使えなかった。だから、9階まで上るのにも若干慣れている。今日も案外苦もなく上れた。何事も経験がひとを強くするのだ。

さて、部屋に入ってみるが、懐中電灯とかをバッチリ用意しているわけではなかったので、ひとまずはiPhoneの明かりを元にライトを探す。だいぶ前に買ってあった懐中電灯は電池の液漏れで使えなくなっていて、困ったなあと思ってごそごそ探していたら、ミニマグライトを発見! 電池はほとんど切れていたが、使用電池が単四であることを知ってラッキーと思った。実は、この前ちょっと調べていてわかったのだが、我が家にはなぜか単四電池の半端なものがたくさんあるのだ。単四使用のミニマグライトなら、この停電でも十分乗り切れるだろう。もう1つ、単一×4本で動作するランタンも出てきたが、今単一電池はどこへ行ってもないらしいので、これはあまり役には立たない。もう十年くらい前に入れた電池がわずかに残量残っていて、ほのかに点くには点いたが、ろうそくにも負ける程度の光量しかない。さらに、だいぶ前に買ってあったキャンドルも発見したが、肝心のライターがない。僕はタバコを吸わないので、ライターは1本か2本あるはずなのだが、どこへしまったか思い出せない。しばらくうろうろマグライト片手に探していたが、そのうち蚊取り線香の缶を発見。蚊取り線香と言えば火はつきもの。ということで空けてみたら、案の定ビンゴ! ガスは切れかかっていたが何とか火も点けることができ、ひとまず明かりはOK。ライトを探しているうちに、携帯ラジオも見つけたので、キャンドルにラジオを肴に、静かな暗闇の中でワインを飲む。うーん、我ながらナルシストだな、この状況はw。

でも、集団停電という非日常的な事件は、街を新鮮に見せてくれる。今回の場合、蕨とか川口、戸田あたりは全部真っ暗で、その向こうにある東京の明かりはしっかり点いているので、そのコントラストがものすごい。近景のビルは真っ暗。その向こうにきらびやかな都会が見える、というわけで、なかなか見られない光景を見ることができた。あとラジオなんか聞きながら暗いところで食事するなんていう経験自体が、高校生の頃にキャンプしてた以来かもしれん、という感じで、これもまた懐かしいというか新鮮。しかも、こんな時期なので、FMから流れてくる音楽もやさしく心地いいものが多い。今日暗闇の中で聴いた桑田佳祐の歌は染みたなあ。やっぱあの人は天才だわ。

困ったのは水道も止まってしまったので、トイレにいけなかったこと。火は点くけど明かりがないので、ちょっと料理をする気にはならない。幸いにもご飯は食べたので、ひとまず手軽なワインとチーズという取り合わせで一杯やっていたわけだが、逆に贅沢な時間だった? 軽く被災地の大変さを味わった機会でもあったのだが、やはり状況が違いすぎるし、ここには食料もお酒もあり、それほど寒くもない。随分僕は幸せなのだ。独り身なので、こういうときに会話したり、身を寄せ合ったりできないのは非常に残念だけどね。

まあそんなこんなで2時間くらいの停電体験になったわけだが、便利な文明に慣らされすぎている僕にとっては、逆にいい経験だったかもしれない。元々僕は結構サバイバル的な生活に向いているのだが、最近はキャンプにすら行ってないし、そういう感覚を忘れていたなあ。これが毎日だったらやっぱりキツいと思うが、たまにはこうやってみんなで電気のありがたさをかみしめるのも実は悪くないかもしれないと思ったりもした。

さて、問題の原発であるが、今日はいろいろ放水したり、かなり焼け石に水的な作業をしていたようだ。もちろんこれで収まるとは思っていないだろうが、少しでも時間稼ぎにはなったかもしれない。一説によれば、10日もすれば、原子炉は冷えてくるそうなので、そう考えると今ちょうど1週間くらい。この週末なんとか乗り切れれば、明るい兆候も見えてくるのではないか。原子炉の冷却システムに電源もなんとか引けそうなので、今日明日くらいが一番の正念場となりそうな気が勝手にしている。おそらく、それほど悲観的になることはない。もう少しみんなで頑張ろう!
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首都圏停電3日目

2011/03/16 23:48
「停電」とかタイトルに書いているが、実は僕が住んでる蕨市は、多分まだ一度も停電にあっていなかったりする。いや、もしかしたら停電になってるのかもしれないが、朝出て夜帰る僕にはあまり関係がないからわからないのかもしれない。電車もまあほぼ普通に動くようになったし、見た目的にはあまり変わらない日常だ。

しかし、首都圏一帯は停電以上に今困った問題に直面している。原発崩壊の放射能問題だ。

正直、原発問題は日を負うごとに悪化している感じがしていて、恐怖心をあおる。政府は大丈夫と言っているが、おそらくそれを鵜呑みに信じている国民はあまりいないだろう。ネットユーザーともなればなおさら。ネット上でも「問題だ」「いや問題じゃない」といろんな意見があり、今ひとつどれが本当なのかよくわからない。ただ、僕が今のところ判断している信頼すべきいくつかのジャーナリストやブログの記事からすると、政府発表はまんざら嘘でもないらしい。さらに実は同僚に原子力工学科出身がいたりして(今日初めて知ったよ、そんなこと)、話を聞いたところ、大事件ではあるが、それで人間の体に影響があるというほどではないだろうということだった。つまり、東京にいても、それほど問題はないということだ。

しかし、人の心はこういうときには疑心暗鬼になる。そして保身的にもなる。

ここまで災いが続けばそういう気分になるのも当然かもしれないが、本当に東京にいる人間にはもう少し冷静になってもらいたい。僕らはむしろ東北の人たちを受け入れなければいけない立場なのだ。それは昨日の日記でも書いたとおりだが、どうにもこういう不安というのはぬぐえないもののようだ。

こういうとき、日本が国民皆兵制でないのが辛い。僕は皆兵制には反対だが、皆兵制にはいいところもあるとは思う。それは国を守ろうとする基本的なココロの育成と、いざとなれば命を張れるその度胸の養成だ。こういうのは、グローバルで考えると割と当たり前のことで、近いところではお隣の韓国がそうだ。実はあのナンパな国であるイタリアも、つい最近までは徴兵制だった。僕がイタリアに行っていた1995年にはもちろんまだ徴兵制で、よく列車などに軍服を着た若者(ラガッツィ)が乗ってきていた。まだ高校生くらいのあどけない顔の子達が、いやいやながらも徴兵されていたのを思い出す。でも、そのおかげでイタリア人は非常に祖国愛は強い。

日本は幸いにも戦後こういう皆兵制とは無縁で来られた。だからと言って、国民に愛国心がないわけではないが、こういう非常事態に関する度胸はやはり少ない気がする。単純な話、今は戦時中と思えば、何もこんなにパニクる必要はないのだ。銃後を守る我々は、前線の兵士を支えるためにできるだけのサポートを行う。実に当たり前の話である。前線のほうがよっぽど厳しいところで戦っているのだから。

僕は基本的に平和主義者であるが、軍事にもそれなりに明るい。単なる兵器オタクではなく、いわゆる大戦略に関して非常に興味があり、いろいろな本などをよく読んできたのだが、戦争に勝つためにはロジスティクス(兵站)が非常に大事というのは定説である。たとえて言うのは適切ではないかもしれないが、第二次世界大戦の独ソ戦が今の状況に似ているかもしれない。

ドイツ軍は当初はソ連軍をあちこちで打ち負かし、一度は首都モスクワを包囲するまでに至った。しかし、ドイツはモスクワを陥落できず、その後大幅な反撃をくらって潰走するハメになる。ではなぜドイツはモスクワを落とせなかったのか? その大きな理由の1つが兵站にあった。ドイツ領内からモスクワまでの距離は相当長い。こういう長い距離を攻め上がるには、本来なら途中で補給基地をしっかり作る必要があるのだが、そのときのドイツ軍は、目の前に迫った「冬」への恐れと、「電撃戦」という戦略の勝ちパターンに固執していたせいもあって、前線をどんどん前へ、半ば無理に進めていった。そこで補給線が完全に伸びきってしまったのだ。補給線が伸びれば、どんなに強力なドイツの戦車隊もガソリン切れで動けなくなる。兵士の食料や弾薬なども足りなくなってくる。さらにロシアの冬が迫ってきており、防寒服の調達も遅れていた。さらに無理な行軍が兵士の体力を奪っていた。

そこへソ連軍の反撃が起こる。弾薬に乏しいドイツ軍は後退せざるを得なくなるが、何しろ燃料がない。燃料のない戦車はただの瓦礫だ。対するソ連軍は首都を守ろうとする士気が高く、防寒服もドイツ軍の比ではない。さらに、ソ連の場合、モスクワよりもさらに東部のシベリア地方が一大補給生産地となっており、この後背地で作られた戦車や兵器が一気にシベリア鉄道で送られてきていた。結果としてドイツ軍は、戦車などはその場に置き去りに命からがら潰走するハメになる。こういうときに兵器の強さなど無力だ。補給がなければ兵隊は戦えない。太平洋戦争の日本もそうだが、第二次大戦のドイツも結局は兵站で戦争に負けたのだ。

これを1つの教訓とするなら、今の東北の被災地を前線と考えた場合、東京から被災地までの距離はおよそ400-500km。補給線としてはやや長すぎる。燃料にしても途中の中継基地をきちんと整備しないと、これではトラックなどをうまく稼働させることができない。今、食料や毛布などの物資が被災地の現場に届いていないという問題があるらしいが、大戦略でとらえた場合、おそらくこの中継基地の問題が大きいと思う。

しかし、戦争で言うなら、今回の前線はかなり広範囲に広がりすぎている。いわゆる戦線の伸びすぎだ。さらに、戦争で言うなら、各部隊(避難地)が孤立しすぎている。前線における孤立は全滅の可能性が高い危険な状態だ。なんとか孤立状態を避けるために連絡網を確保する必要がある。しかし、報道を見ている限り、そういうことがうまくいっている感じがしない。

戦略のプロの自衛隊であれば、このあたりのことはきちんとやってくれるだろうが、そこに至るプロセスが今回の場合遅すぎている感じもする。もし政治家にそういう頭を持った人間がいれば、自衛隊への命令ももう少し違っていたかもしれない。もちろん最初は最前線へ行って戦うことも大事だが、それと同時に後背地の兵站を考えられるのが、本当の戦略家であろう。どうもそのあたりの命令系統が今ひとつな感じはする。もちろん、同時に原発事故が起こって、指揮系統がパニックを起こしたことが大きいだろう。ただ、大戦略を考えた場合、冷静に原発事故は事故として東電に処理させ、同時に国交省や防衛省を中心にきちんとした兵站を作らなくてはいけない。補給がままならないような状態では、民間のボランティアなど入りようもなく、民間の力なしでは、これだけ広がった戦線(被災地)を維持するのはおそらく不可能だ。

今からでも遅くはない。原発は原発でもちろん心配なのだが、もし本当にそれほど悲劇的なことにならないと言うのであれば、今生きるか死ぬかの瀬戸際にいる被災者をとにかく救うために、きちんとした補給路を作り、一刻も早く民間が入れる土壌を作ることだろう。もちろん、東京都民は自分のことだけで一喜一憂している場合ではない。補給の本丸として、人・モノ・金を送り出さなくてはいけないのに(独ソ戦におけるシベリアである。しかもシベリアよりもはるかに生産力がある)、そこで逃亡とかあり得ない。

重ねて言うが、今は非常時である。しかし、戦争は兵士だけが行うものではないし、後背地には後背地の戦いがある。そういうことを日本人のほとんどが知らないとしたらちょっと考え直したほうがいいと思う。
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